―『死神』に狩れないものは、この世にはみっつしかない。 ひとつ、生無きもの。 ふたつ、自分自身。 そして、最後のひとつは…―
この世界は狂ってた。壊れてた。腐ってた。 何処のお偉いさん方の考えかは俺らみたいな一端の国民にゃあわかるはずもない。 だが、そんな奴らが上にいたせいで、国境沿いでは頻繁に鍔迫り合いが起こった。 まぁ、数年前ようやく休戦の条約を結んだって言っても、あれだけの戦争の爪痕ってのはそう簡単には消えない。 同じく、人の欲ってのも尽きることはない。 表面上はもう戦争は止めて仲良くしましょうね、なんて顔してるが、互いに互いを侵略しようと、虎視眈々と狙ってるわけだ。 だが、流石に理由もないのに侵略戦争は起こさない。 そういう中途半端な羞恥心と罪悪感ってものに負い目を持つらしい。 逆に言えば、大義名分があればそんなのお構いなし、ってことだろうが。 そんな緊迫した中、俺は戦災孤児としてある施設にいた。 施設って言ったって孤児院だとかそう言った生易しいものじゃなかった。 戦争のノウハウだとか、愛国心だとか、隣国に対する敵愾心だとか、そういうものを叩き込む、言わば将来の戦争に備えた兵隊養成所だった。 もっとも、表向きはただの孤児院、戦火から離れた場所でのほほんしてる奴らからは同情を買うような場所だった。 それが、上の奴らの狙いだったと気付くには、まだ俺らはガキだった。 訓練に明け暮れながらも、仲間と友人関係を気付き、それほど不自由のない生活は、楽しかった。 正直、訓練していたって言っても、どいつもこいつも戦争なんて関係ない奴らばっかだった。 このまま平和が続いて、こうして仕込まれた戦う術も無駄に終ってくれれば、皆頭は堅いながらも幸せに生きられたんじゃないか、と 今更ながらに思う。
そう、今更ながらに。
その日は突然やってきた。 そう珍しいことじゃないが、夜中に叩き起こされ、野外での夜間訓練が催された。国境付近に広がる広大な森の中で、だ。 無論国境を越えてしまっては侵略を疑われて射殺されても文句は言えない。 流石に俺らもそこまでバカじゃない。ちゃんとこっち側での訓練。森林地帯を想定しての模擬戦闘。 いつものように五人で構成されたグループに分かれ、教官に教えられた使うあてもないようなことの予行練習。 それだけで終るはずだった。 突如、銃声が鳴り響いた。遠い昔に聞いたような、懐かしくもない消し去りたい記憶を呼び覚ます音が。 訓練って言っても模擬だ。実弾は入っていない。しかもこの国境付近で銃をぶっ放すバカが何処にいる。 撃って下さい、と言っているようなものだった。 さらに、あろうことに、銃弾はこっちの国の方から、つまり、俺ら側の方から飛んできた。近くの木に銃弾がめり込んでいる。 相手の国側の方で声がした。誰かが近づいてくるようだった。 遠くで走り去っていく教官の姿が見えた。 俺らのグループの奴らは全員凍りついた。何が起きたかその場で瞬時に理解することはできなかった。 だが、やることは決まっていた。 持っている武器は弾丸の入っていない銃、白兵戦用の無意味にでかいサバイバルナイフ、その他数点。 こんなもので突っ込んでいったら蜂の巣にされるのが関の山だった。 施設の方に向かって走った。銃声が近くに聞こえても、振り返ることなく。 途中散り散りになりながらも、俺は死ぬ気で走った。流石に死ぬのは嫌だったらしい。 気が付いたら、ひとりだった。 森を抜けたが、そこで待っているつもりはなかった。 施設へ走った。そこで見たものは、燃え上がる俺らの「家」だった。
戦争で住人のいなくなった廃屋で夜を明かした俺は、翌日、テレビでお偉いさんが演説をしているのを見た。 ―相手の国は非道にも停戦の誓いを破り、あろうことか国境付近の孤児院に火をつけ、森に逃げこんだ孤児たちを皆殺しにした。 こんなことが許されていいのだろうか。 これは宣戦布告以外なんでもない。 我々は、この子どもたちのために、そして自分たちの国を守るために、戦わなければならない。 この戦いは大義である― と。 俺はない頭をめいいっぱい使ってこの出来事を整理した。 三十人ほどいた仲間たちは、あの施設の子らは、皆殺しにされたらしい。 相手側は施設に火を放ったらしい。 先に約束を破ったのはあっちらしい。 俺の頭の中で出された結論は、至ってシンプルだった。
俺たちは利用された。 くだらない恥と罪の意識を捨て去るための大義を作り出すために。 ひとり残らず殺された。 死にぞこないの自分を除いて。
間もなく、戦争は始まった。 俺は行く当てもなかった。 当たり前だ。俺は「死んで」いたのだから。 だが、やっておかなければならないことがあった。 奴らは施設を燃やすことによって少年兵の育成場というあの場所の裏の顔の証拠隠滅を図ろうとしたのだろう。 しかし、そこに非常に残念なことがあった。 俺らは、お前らにその術を何年教えられたと思っているんだ。 戦争のドサクサで、その焼け跡に行った。 教官と俺らしか知らない地下室は、ご丁寧にそのままだった。 銃火器、保存食、弾薬。戦争するにもってこいなものだった。 そこで装備を整えた俺にやることはひとつだった。 相手は意外にも簡単に見つかった。 俺らを陥れた、かの教官だ。
後ろからそいつの頭に銃を突きつけた。 相手は俺を見て、幽霊でも見たような顔をした。 謝られた。 命乞いをされた。 許す気など、さらさらなかった。 自分が教え込んだ術によって殺される。最高の皮肉だと思った。 引き金にかかっている指。
そこに、ためらいはなかった。
その日から、俺の記憶はひどく曖昧だった。 当時十歳そこらの少年だった俺がどうやってあの戦場の切り抜けたかなんて、覚えていたら夢に出てきて精神崩壊を起こしそうだ。 とても平常の同年代には耐えられたものではないことは確かだ。 ただ覚えていることは、少なくとも、俺らを利用するために教官気取りで術を教え、挙句の果てにその術で殺された、 あいつに教わったことが、確実に俺を生かしていた、ということだけだった。 体に染み込んだ習性と言うものは恐ろしい。あんな使い方するよりも、こうやって使った方がよっぽど役に立ったと思う。 傭兵として俺は、数多の戦場を駆け巡った。 そして、数え切れない人を殺した。 それと同じくらい、仲間を殺された。 俺と戦った奴、組んだ奴。敵味方の区別なく、俺を残して誰も彼も死んでいった。 いつしか、俺は呼ばれるようになった。 とうの昔に名前など捨てていた。 だから、きっとそれが俺の名だったのだろう。
さながら、戦場にて人の魂を狩る『死神』、と。
数年後、戦争は終結した。 どちらが勝ったかなんて興味はなかった。 きっかけとなったあの孤児の皆殺し事件は、最早過ぎ去りし日のことだ。 あの出来事がきっかけで戦争が起こったことなど、誰が覚えていよう。 そして、あの事件に生き残りがいたこと、実際は自国の策略であったことなど、誰が知っていよう。 …そんなことは、もうどうでも良かっただろう。 今必要な事は、いかにしてこの崩れた国を建て直すか、だったに違いない。
この国は嫌いだった。 厳密に言えば、同朋殺しをした奴が。 それを指示した上のお偉いさん方が。 かと言って、相手の国が好きだった訳でもない。 でもまぁ、国が腐っているたって、この町は好きだった。 戦争あがりのチンピラ共の縄張り争いが耐えない。犯罪だって頻繁に起こる。 それでもなぜか俺は、この町が嫌いになれなかった。むしろ、それだから俺はこの町が好きだったのかもしれない。 俺みたいに最低な野郎にふさわしい、この町が。 そんな荒れ放題好き放題なこの町の裏路地に入って少し行った所。 そこにある店―と言っても最早家でしかないが―が、俺の店だ。 流石に盗みばっかりして生きてけるほど世の中甘くはないし、最近じゃ憲兵が目を光らせてるから、迂闊な事もできない。 たまにチンピラに撃ち殺されてるが。 働かざるもの食うべからず、って訳で始めた商売。 何をするかと言えば、ありがちだが何でも屋だ。 そうそう、言い忘れてたが、俺の名前は、『ジューダス・トレイター』。 戦場で別れたとある人から貰った名前を今でも使ってる。 勘のいい奴なら気付くだろうが、キリストを裏切ったとか言うかの『イスカリオテのユダ』をもじってる。 『トレイター』ってのは反逆者とか裏切り者とか、そういう意味。 つまり、名前自体『裏切り者』って意味だ。 そう、裏切り者―
何でも屋。 今時勢、こんな状況で仕事なんて選んでられない。 正直、次の瞬間死んでてもおかしくはない。 そんな中、戦争を生き抜いたガキの俺にできることなんて、これくらいしかない、と足りない頭で思いついた。 もっとも、何でも屋なんて表面的でしかない。やってることと言えば、運び、奪還、そして…殺し。 こんなガキにそういった事を頼むだなんて世の中はどうにかなってる。 だが、俺は生きていくためには依頼を受け、それをこなし、金を貰わなければならない。 なによりも信用が大事な商売、下手な行動はできなかった。 正直、一番初めに殺しを依頼されたときは困った。 殺せないわけではない。ただ、そんなことをしてしまえばここで生きるのは難しくなる。 ルールがないようなチンピラどもでも、報復は鉄の掟であるらしい。 だから俺は、こういうことにした。 ―その手のプロに頼んでおきます― 表面上はいわゆる仲介。だが、そんなのは嘘に決まっている。 結局、自分でカタをつけねばならなかった。 居合わせた者も全て始末した。 偶然かどうかは知らないが、依頼主も間もなく抗争に巻き込まれ死んだ。 『死神』である自分が再降臨した日だった。 その事件のアシはつかなかった。だから、これっきりだと思った。 だがその日から、まことしやかにある噂が流れ出した。 『死神』の再来の噂が。 どこから噂が広まったかは知らない。だが、その噂はその手の、言わば裏に生きる連中には広まっていった。 だが、その『死神』の正体が、俺みたいなガキだとは知られていないことが、不幸中の幸いだった。 それもそうだ。俺と関わりあった奴は敵味方の区別なく死んでいった。 顔を知る奴などいてたまるものか。 そして、いつしか何でも屋『イスカリオテ』の『ジューダス・トレイター』は、『死神』と繋がっている、という噂さえも流れ出した。 一時は町を去ることさえ本気で考えた。 だが、連中は俺に手出しはしなかった。 否、できなかった。 『死神』の恐怖は、嫌と言うほど知っていたらしい。 逆に、俺がその『死神』の手にかかるまでは、せいぜい敵を減らして欲しかったから、というのもあるかもしれないが。 伝説の『死神』と唯一つながる人物。それだけで十分利用価値はあったのだろう。 殺しに留まらず、そういった裏の依頼はひとつとして失敗はしなかったし、全て依頼主のオーダーどおりにこなした。 そういった点での信用があったというのも、俺が今日まで割と平和に生きてこられた要因かもしれない。 …無論、下手に関わった者は誰一人として生きてはいなかったが。 そうして、俺は昼は何でも屋、夜は主に殺し屋として、二重の生活を送ることになった。 それなりに店は儲かった。 だが、心のどこかに自分のしていることに対する矛盾を抱えていた。 ある日はとある組織の頭をやれとの依頼。完了。 そのまたある日は先日依頼した方の組織の頭をやれとの依頼。完了。 お互いには何でも屋としてプロの殺し屋をアシがつかないように雇って殺ってもらった、ということにしている。 実際、『死神』と繋がっているとはひと言も言ってはいないし、殺し屋なんていくらでもいるような時代だ。 この二つの組織はまさか自分が相手と同じところに依頼をしに行ったとは思っていない。 まして、お互いの頭をやったのが同一人物であろうことなど。 金さえ貰えれば、何でもやった。 どんな汚い仕事も、どんな危険な仕事も。 …やはりありがちではあるが、俺は死に場所を求めていたのかもしれない。 本来であれば孤児院の仲間と、あの場所でお国のために殺されるはずだったんだ。 あるいは、あの戦争で敵兵に蜂の巣にされて撃ち殺されるか、あるいは地雷を踏んで体が木っ端微塵に吹っ飛ぶとか。 だが、死ななかった。 幾度となく死にぞこなった。 俺の代わりと言うかのように、関わった人は死んでいったのに。 命をかけて戦う戦場。 命を捨てる場所。 その場において、唯一生き残り、死体の山の上に立っていた俺は、やはり『死神』であったし…『裏切り者』でもあった。 誰も死にたくはない。 生きるために戦っていた。 死にたくて殺された人は、今まで出会ったことはない。 そうした人たちが散っていく中、死ぬために戦っていた俺は、生き残ってしまった。全くもって皮肉な話だ。 何度か、自殺も考えた。 だが、死にたい時に死ぬなんて贅沢なことだと思った。 俺の死に場所はこういう汚い仕事の中で、蜂の巣にされて苦しみながら死ぬのがお似合いだ。 そう思って、自殺を実行に移したことはない。 ただ、自分をいつ死んでもおかしくないような状況に幾度も身をおいた。 だが、体に染み付いた習性と生存に対する本能ってのは、俺を簡単には死なせてくれなかった。 ますます死体の山を築くばかりだった。 それでも俺は生きるのをやめなかった。 いつか死ねるその日まで、せいぜい自分に与えられた運命―『死神』に抵抗しようと思った。
そんなある日だった。 ここ最近表も裏も仕事がなかったので、いつものようにくだらないことが羅列されてる新聞を読みながらコーヒーをすすり、 束の間の平和を堪能していた時だった。 突然、店のドアがノックされた。しかもかなり乱暴に。 また仕事の依頼かと思い、しぶしぶ玄関に向かった。 ためらわずドアを開けると、何かに体当たりされた。 不意打ちに思わず転びそうになるのを何とか耐え、状況を把握しようと思った。 体当たりを食らわせてきたのは、どうやら自分の胸にしがみついている少女らしい。 赤茶っぽい髪をツインテールにしていて、身長は自分とは頭一個分ぐらい違う。 こっちが何か尋ねる前に、相手が顔を上げて口を開いた。 「助けて下さい、人に追われてるんです!」 見た感じ、自分と大して年は変わらないと思った。 ひどく慌てている。どうやら誰かに追われているらしい。 俺は困惑した。どうしたものかと思ったが、とりあえず家の中に隠れているように言った。 彼女は家の奥に入っていき、クローゼットの中に隠れた。 それを見届けてから、角を曲がってこっちに走って来た二人組みの男を見て、親切に店の前で待っていた。 「おい、ガキ、この辺に女のガキが来なかったか?」 ジューダス、と言う仮ではあるが名前があるのに、まともに呼んでくれる人はいない。 まぁ、それでいいのだが。下手に関わると『死神』の鎌にかかる。 「いや、来なかったが」 とりあえず白を切った。 「嘘をつけ、確かにこっちに走って言ったのを見たんだぞ!」 じゃあ聞くな。そこの頭足りない奴。 「まさか、かくまってなんかいないだろうな?そんなことしてみろ、ここで商売できなくなっても知らんぞ!」 おー、わかりやすい脅しだ。 「通ったかどうかは見ていない。だが、ひょっとしたら彼女かもしれない」 二人はなんだ?と言う顔をしてる。 「俺の仕事仲間さ。やばい仕事を依頼する時には、必ず彼女を通してる。 彼女が直接手を下してるかは知らないが、下手に関わると『死神』の鎌に触れかねないぞ」 もろにはったりだ。だが、これほどまでに強力なはったりはない。二人の顔色が変わった。 「うちの組をこそこそ嗅ぎまわってたのはそのためなのか!」 わかりやすく動揺してやがる。おまけに情報を流していいのか、下っ端。 「余計な詮索はしないようにしてるんでね。その辺もあんたちは分かってるんだろ? あと、依頼人のプライバシーも尊重してる。こっちは信用が第一だからな。」 相手は何も言い返せなくなった。下手に脅せば今まで依頼してきた殺しのことだって相手側に漏らしかねない。 中立にして、俺は結構安全な場所に立ってるわけだ。 「…とにかく、見かけたら教えろよ!」 精一杯強がりを言って、二人は走って別な場所へ行ってしまった。 十分離れたのを見計らって、店に戻り彼女に合図を出す。 「もう出てきて大丈夫だ」 じー、とクローゼットのジッパーが下りる。左右を確認して出てきた。 「あ、ありがとうございます!」 深々とおじぎをされた。ツインテールが振り回されている。 「まぁ、気にするな。君がどこの子で、何をして奴らに追われてるかは知らないが、この町を離れたほうがいい」 正直、一刻も早く俺の目の前から消えて欲しかった。 巻き込まれたくないとか、女が嫌いだとか、そういう理由ではない。 長く関われば関わるほど、それだけ死ぬ確率が増える。 今までの人生経験上、そうなってるんだ。自分で手にかけない奴に死なれるのは夢見が悪い。 「それは…できません!」 ゆっくりと彼女の方を見る。 「…死にたいのか?」 軽くにらみを効かせ脅しをかける。 だが、彼女は目をそらそうともせず真っ直ぐな瞳でこっちを見ていた。 俺はため息をついて頭をかいた。 「…とりあえず座んな。話ぐらい、聞いてやる」 心底、自分が馬鹿だと思った。 だが、こうして一緒にいる間は、少なくとも殺される心配はないと思ったからだろうか。 店を出た瞬間、この子が撃ち殺される姿が、なんとなく頭をかすめた。 それを偽善と言うのだろうか。そうして俺は幾人の命を狩ってきたのだろう。 だが、何もしないよりはましだと思ったし、まともに話し合わなければこの子の心を返させるのは無理だと思った故の行動だった。 そう言い聞かせることにした。
「はぁ、麻薬?」 「そうです、麻薬です。それもかなり量の」 テーブルの上のコーヒーを飲みながら、しばし彼女の話を聞いていた。 彼女―アンズと言ったが―は辺りの人ではないが、あるものを追ってここまできたらしい。 あるものとは、さっき口に出した麻薬である。 「またなんで、君みたいな人からそんな物騒な単語が出てくる?」 以前までの運びの依頼を思い出してみる。弾薬、銃火器、爆弾。あと…確かに中身を教えてくれなかったものはあった。 ひょっとしたら、それが彼女の言うものだったのかもしれない。 もう過ぎた話で、確認のしようもないが。 「私の住んでいた小さな村に、ある日突然医者が訪れたんです。この辺は戦争である薬品が使われたから、 その被害を防ぐために薬が必要だって。最初はただで配られていて、みんな言われたとおり飲んでいました。 ちょうどそのころ私は離れた所に出ていて、帰ってきてみると、村は変わり果てていました。 ほんのわずかな薬のために殺し合いをしていて…」 アンズがうつむいてズボンの裾をぎゅっと握った。 なんだか悪いことをした気分だった。 「うなずくだけでいい。 ようはその医者がここいら辺のどっかの組織のまわしもんで、散々稼いだ後、村を捨てて去った、と」 こくん、とうつむいたままうなずいた。 「生き残ったのは、その時居なかった私だけ…みんなの敵が取りたくて、必死になって探しました。 それで、ようやく突き止めたんです。」 ポケットから何かを取り出した。それをテーブルの上に置く。 ボタンだった。何かの模様がついていた。手に取って見る。 「こいつは…」 俺は本気で驚いた。彼女が追ってきたのは、この辺りで一位二位を争う『黒死の獅子(レオ)』と呼ばれる組織だった。 戦争を生き抜いたある隊が中心となり構成されているため、統制の取れ方が半端じゃない。 彼女が持ってきた獅子の模様の入ったボタンは、その生き残りの上級兵士、つまり現幹部のみがつけることを許される、 いわば勲章のようなものなのである。 その組織はかなり凶悪で、手を出した者にはとことん容赦はしない。 跡形もなく潰す。それが、彼らの礼儀だった。 ちなみに、その組織に対する裏の依頼は未だに受けたことがない。 例え頭をやったとしても、相手に与えられるダメージより、受けるダメージの方がはるかに大きいからであろう。 「知っているんですね!教えてください!」 その動揺を悟られてしまった。彼女は顔を上げて俺に迫った。 俺は反射的に顔を逸らした。 「…やめといた方がいい。無駄死にするだけだ」 「だからって黙って見てろって言うんですか!」 彼女の目は本気だった。俺がどうこう言っても、彼女が考えを変えないのは最早明らかだったであろう。 例え死んでもただでは死なない。戦場で幾度も見た、覚悟を持った人の目だった。 俺は顔をしかめ、再び頭をかいた。 「なぁ、アンズ。君はこの店が何の店だか知ってるか?」 アンズはきょとんとしている。正直自分でも、何が言いたいのかわからなかった。 ホントは力ずくでも止めるつもりだったのに、口は意思に反して勝手に動いた。 「この店は、何でも屋だ。遠いとこへの買出しとか、配達だとか、そういった軽いもんから、盗みだとか、護衛だとか殺しだとか、 そういう物騒なのまで扱ってる」 とても初対面の、それもよそからきた少女に言うことじゃないと頭ではわかってた。 彼女はまだ要領を得てはいない。 「それと、だ。君は例の戦争で有名な『死神』って奴を知ってるか?」 「彼の者と交わりし者、その鎌にて命を狩らるる…その鎌は相手を選ばず。 例え敵であろうと、時を共にした仲間であろうと…」 彼女はそうつぶやいた。 それは戦場に残されたとある詩だった。直接書いた奴を見たわけではないが、おそらく俺が直接ないし間接的に殺した奴だろう。 その詩の発見が、それまで噂でしかなかった戦場の『死神』の存在に真実味を持たせる結果となった。 全くもって迷惑な話だ。 「そう、それだ。あろうことに、俺は世界でも唯一その『死神』に依頼できる男だ」 つくづく、自分は馬鹿だと思った。戦場以外で自制が効かなくなったのはきっとこれが初めてだっただろう。 「それって、どういうこと…」 彼女の目が大きく見開かれた。 もう、どうにでもなれと思った。 「君じゃ無理だ。いや、それどころか、ここいら辺の組織が集まったって勝てる相手じゃない。ただの無駄死にだ。 だが、『死神』なら何とかしてくれる」 「そんなことができるんですか!?」 「それができるからこそ、俺は今こうしてここで生きていられるんだ」 馬鹿野郎。そろそろ口を慎め、自分。 「あ、でも…」 彼女が急に視線を落とした。 「私…そんなすごい人を雇うだけのお金が…そうだ、私手伝います。だから安く」 「馬鹿なことを言うな!」 立ち上がってテーブルを思いっきり叩いていた。びくっ、と彼女が身を引いた。 がらにもなく感情的になってしまったことを後悔した。 頭をかいてため息をつく。 「金は心配しなくていい。もともと、最近そう言った依頼が来てたんだ。 盛者必衰だとか、自然淘汰だとか、そういう世の中の、どうにもならない大きな流れのひとつだ。 だから、君は何も考えなくていい。そのことに罪悪感を覚えることもない。 だから、余計な事は考えるな。君も『死神』の鎌に触れたいのか?」 こんなの嘘だった。 ただ必要以上に彼女を関わらせないように。 彼女を巻き込まないように。 彼女に十字架を背負わせないように。精一杯ついた嘘だった。 誰があいつらにたてつく?誰があいつらに対して殺しを依頼する?とても正気の沙汰には思えない。 生きたければ、人は大なり小なり目の上のたんこぶを持って生きなければならない。 「あの…でも、なにか」 「わかったな」 かなり言葉に威圧を込め、ずいっと彼女に迫る。 これから俺はどうするべきか考えると、頭が痛くなってきた。 「…わかりました。ありがとうございます」 彼女はまた深々とおじぎをした。ツインテールが揺れている。 「礼は『死神』と、依頼主に言いな。もっとも、そいつらが生きてられるかは知らないけどな。」 俺はいろんな理由でため息をついた。 嘘をひとつつけば、嘘は百回ついてついても足りないと聞くが、俺は果たして彼女を欺くために何度嘘をつかなければならないのだろうか。 「でも、ひとつだけ聞かせて下さい」 横を向いていた顔を彼女に向ける。 「いいんですか?そんな事言って。初対面の私に。ひょっとしたら、私はそこのまわしものかも知れませんよ? 依頼主のプライバシーは、尊重するんじゃなかったんですか?」 彼女の質問に戸惑った。彼女の言うことはもっともだった。 正直なところ、ここまで自分の意に反して体が行ったことについてきただけだった。 むしろ俺がそんなことを口走ってしまった事についてのはっきりとした理由を知りたいくらいだった。 「そ、それは…」 柄にもなく動揺してしまう。 「それは?」 なんとなく考えを巡らせた。 そして、結論に達した。と言うより、やはり体が勝手に口走った。 「君が、きっと最後のお客さん、いや、最後にここを訪れる人になるから、かな」 きっと本当は少し違ったのだろう。だけど、それを口にすることはなかった。 それを口にすることは、自分が『死神』であることを告白するのと同意だったからだ。 その他にもひとつ、言いたいことがあったが、それも口にする気はなかった。 「え…」 「信頼を積み立てるのは、半端じゃなく骨が折れる。 だが、その信頼を壊すのは半端じゃなく楽で、あっけない。 君がそのまわしものであろうとなかろうと、こうしてその今まで自分の貫いてきた信念を外れることで、 後戻りする道を断とうと思ったんだ、きっと。うん」 実際、これは虚偽の依頼。するかしないかもはっきりしない。 彼女がその組織のまわしものであろうとなかろうと、さほど差し支えはない。 最悪の事態を想像しても、せいぜい『死神』の力を必要としないその組織に俺が消されるぐらいだろう。 もっとも、その前に彼女を始末する事になるだろうが。 「それって、どういうことなんですか?この仕事をやめるって事ですか?もしかして、私のせいで…」 彼女は心底申し訳なさそうな顔をしている。 もし彼女がスパイであるなら、かなりの芸人魂だ。 「いや、君のせいなんかじゃないさ。もとから決めてたことだ。あの組織が潰れたら、多分俺と『死神』もここには必要なくなる。 それにだいぶこの仕事で稼ぎがたまったんでね。どこか…もっと平和な所に越そうと思ってね。こんな仕事から足洗ってさ」 全く、自身のコントロールすらできないとは。俺もまだまだ未熟だってことだな。戦場の方が、よっぽど落ち着いている。 さて、俺は本当にそれなりに好きなこの町を離れる羽目になるんだろうか? 「…もし、よろしければ」 彼女が再び視線を落とした。 「私も連れて行ってくれませんか?…私ももう身よりのないもので。一緒に居てくれる人がいたら、なんて思ってたんです」 「は?」 彼女の顔が赤らんでいた。 何を言い出すんだ、この子は。 あぁ、何となく顔が赤くなっていってる気がする。 そんな予想だにしない事を言われたのは何年ぶりだろう。 俺は視線をそらしてほっぺたをかく。 「何を言い出すんだ、君は。俺と一緒にいたら、下手すれば追ってきた組織の奴らに殺られるかもしれないんだぞ?」 何故か、照れ隠しにしか聞こえないのは俺だけだろうか。 「…じゃあ、こうしましょう。守って下さい」 「は?」 もう開いた口が塞がらない。同じ言葉しか口から出てこない。 「依頼します、何でも屋さん。どこか遠くへ私を逃がして下さい。そして、私を守って下さい。あなた自身で」 …だんだん話がこんがらかってきたぞ。ホントに、この子は何を言い出すんだ。 「じゃ、とりあえず依頼料を。高いぞ」 こんな時でも仕事癖というのは染み付いていた。だが、結果的に最良の策を取れた形になった。 結果オーライ。 「ええ、もちろん。依頼料は、さっきあなたが私に話してくれたことの口止めって事で」 …さっき話したこと? あぁ、なんだ、例の組織を潰すってやつか。 あのノリで言ったこ… 「…っておい!ちょっと待て!」 「十分見合うと思いますけどね。如何?」 俺は頭を抱えたくなった。 むしろかきむしりたくなった。 というより、その辺をのたうち回りたくなった。 今更嘘だとは言えない。例え嘘だと言っても、そこいら辺に喋られてみろ。人の口に戸は立てられず、あっという間に噂が広まる。 なんだか、相手がスパイであった場合以上に状況が悪化していると思うのは俺だけだろうか? まさしく、 「人生最大の不覚…」 頭で強く思ったことが口に出てしまった。 「よく言うじゃないですか。口は災いの元、って」 彼女は満面の笑みを浮かべている。そこには一片の悪びれもない。 さっきのはホントに演技だったんじゃないか、と思うくらいに。 「私はいいんですよ、別に依頼を受けてくれなくても。ただそこいら辺を走って逃げるだけですから。何でも屋さんがー」 「ああ、わかった、わかった!」 俺はもう泣きたかった。 こういうのをなんと言うのだろうか。例えるのなら、彼女は羊の皮を着た狼と言ったところだろうか。 今日ほど女を恐ろしいと思った日は多分孤児院時代の飯の時間におかずを奪ったとき以来だろう。 いや、それは食べ物の恨みか。 「でも、ひとつだけ。なんで初対面の俺をそんな信用する?今まで散々汚いことをしてきてるんだ。 ひょっとしたらその辺に売っ払われるかもしれないんだぞ?」 彼女を思いとどまらせるためではなく、素直な好奇心で尋ねる。 「簡単ですよ。あなたが、悪い人じゃないからですよ」 「こんな裏稼業をしてる奴の何処が悪い人じゃないんだ?」 「眼を見ればわかりますよ。あなた、綺麗な目をしてますから」 …何恥ずかしいことをさらりと言ってるんだ、この子は。 今まで散々人殺してきた奴のどの瞳が綺麗なんだよ、と聞きたかったが、流石に聞けなかった。 あぁ、顔が熱い。 「君はエスパーか?…わかった。この依頼、確かに承った」 「受けていただいて、誠にありがとうございます。…そういえば、名前、聞いてなかったですね」 ここで俺は、重大な事を忘れていたことに気が付いた。自分が『死神』であることを。すっかり彼女のペースになっていたためだろうか。 「ああ、うっかりしてたな。俺の名前はジューダス。ジューダス・トレイターだ。」 名前を言わなかったのは、別にうっかりしていたわけではない。極力関わりを持たないようにしようと思っていただけだ。 だが、ここまできてしまったらもう引き返せない。 彼女と関わることも、あの『黒死の獅子』を潰すと言うのも。 「…変わった名前してらっしゃるんですね。では、改めて。お願いしますね、ジューダスさん。」 「ああ、任せておけ。」 半ば自棄だった。 だが、君がもし、俺の鎌に狩られることなく、生きていられたら。その言葉を飲み込むことはできた。 「逃げる先は何処にしましょうか。西の方はこの辺より平和だって聞きましたよ」 彼女はやさしい微笑みを返した。 祈っても無駄なことなど知っていた。人生はそんな甘くはない。 だが、祈らずにはいられない。 期待せずにはいられない。 この最期の仕事の後、彼女と共に歩く自分の姿を。 「それじゃあ、この辺はどうだ?」 そんな思惑はよそに、俺は移住先、もとい、逃亡先の会議のためにテーブルに地図を広げた。 |