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死神に狩れぬみっつのもの


後編

人間は皆平等だなんて、恵まれない奴の悲しい自己暗示か、恵まれてる奴の偽善のための言葉でしかない。

人間にとって平等なのは、生と死だけだ。どちらも選ぶことなんてできない。

与えられたものを素直に受け取るしかない。

世の中は理不尽だった。

自分は自由だ、とどんなに言い張ったところで、所詮は誰かの手のひらの上にいるか、

あるいは鳥篭の中、あるいは誰かがしいたレールの上にいるだけに過ぎない。

バカがひとり抵抗した所で、世の中どころか、自分の人生すら変えることはできない。

俺は、そのことを痛い程知っていた。

それでも俺はあきらめなかった。

希望を捨てなかった。

そのエゴで、一体何人の人の命が犠牲になったのだろう。

この人なら、きっと一緒にいてくれる。

何人の人にそう言った淡い期待を抱いたのだろう。

未だかつて、その期待に答えてくれた人はいない。

皆、物言わぬただの死体になった。例外なく。

果たして、彼女は俺の期待に答えてくれるのだろうか。

俺が『死神』になってから初めて狩られることなく一緒に歩んでくれる人となってくれるのだろうか。

それとも、我が鎌の獲物のひとりとなってしまうのだろうか。

願わくば。

彼女が我が鎌の餌食とならぬように。



「これでよし、と」

夜も更けて辺りも静まり返った頃。俺は、例の『黒死の獅子』の本部にいた。

どうやって入ったって?堂々と正面から、門番を気付かれる前にサイレイサー付きの愛用の銃でズドン、と。

全員殺る気でいかなければ、潰す、とは言えない。

そのまま奥に入っていった。ここいらは戦争の爪痕でまだまだ復旧が急がれる段階。

セキュリティだとかではまだまだ難がある。さほど支障はない。

まず先に電気系統を潰すため、制御室を襲撃した。その部屋にいた奴らは全員抵抗する前に殺した。

制御装置を片っ端からぶっ壊した。

あっという間にこの建物は暗闇に包まれる。

月は出ていたが、建物の関係上、せいぜい東側の廊下ぐらいしか照らされない。

俺はというと、暗視スコープを付けているから全く持って問題ない。

もっとも、明かりを受けたらひとたまりもないが。

連絡機系統も壊しておいたから、誰かが足で確認しにくるまでの時間は稼げる。

その間、俺は要所要所を確認し、目ぼしい奴らを殺しつつ、弾薬や武器を確保した。

今のところ被弾はない。

と言うのも、俺は『死神』として行動する時、決まって黒いローブで全身を包み、顔には仮面をつけることにしているからだ。

こんな真っ暗闇の中、ただでさえ闇に紛れていて見えないのに、本気で動く俺をとられられるはずもない。

大抵の奴は気付かれる前にやった。

このまま楽に仕事が運んでくれれば、楽な事はない。

だが、相手は『黒死の獅子』、雑魚は楽でも幹部ら六人、頭一人。奴らは次元が違うと確信している。

直接やりあったことはないが、戦争中では噂は何度も聞いたさ。

―群れで狩りをする獅子

決してそれは奴らを馬鹿にした言葉ではない。

一匹だけでも厄介なのに、それをまとめて相手にする。

果たして勝てる者はいるのだろうか。狙いをつけられた者は、例外なく奴らの牙にかかった。

ここは四階。この建物は五階建て。普通に考えてもう一階上に奴らがいると見て間違いない。

強いものとなんとやらは、高いところが好きなそうだからな。

階段に付いた。どうやら非常灯かなんかで上は明るいらしい。

暗視スコープを外し、階段を、一歩一歩慎重に登る。極力足音は立てず、気配を消す。

半分を登った辺りだっただろうか。赤いレーザーが視界に入った。

ズドン

階段を転げ落ちてかわす。同時にライトを狙撃。辺りが暗くなる。

懐からあるものを取り出し、ピンを抜き、二秒経ってから上に投げる。

きっちり三秒目で、激しい閃光が五階の階段付近に広がる。

スタン・グレネード―閃光弾。激しい光を発し、その光を直視すればしばらくはまともに目がつかえないどころか、

反射的にうずくまってしまい、まともに動くことすらできない。暗闇に投げれば非常に有効である。

すかさず一気に上りきり、そこにいるであろう奴に銃を向ける。

冷や汗が、流れた。

ズドン

ズドン

ズドン

階段を転げ落ちるように降りる。

二発、かわしそこねた。

弾丸はいずれも暗視スコープに当たった。長年世話になった物がおしゃかになった。

ったく、いくらすると思ってんだ。

奴らは、俺の行動を見事に読んでいた。

上には幹部が三人いた。全員が丁寧に悪の象徴、サングラスを着用。同じく防弾チョッキも。

奴ら、俺がスタン投げるのを読んで避難してやがったな。

すぐに、追い討ちの弾丸が飛んでくる。

黙っていたらただの的だ。一旦その辺のあちこちに繋がっている部屋に退く。

やはり、思っていたように、いや、それ以上に奴らは手ごわい。

果たして殺れるのだろうか。否、やらねばなるまい。

今一度、思い出させてやろうではないか。

避けること叶わぬ『死神』の鎌、を。

奴らが近づいてくるのがわかる。

うまいこと気配を消そうとしているようだが、うまいことばら撒いておいたガラスの破片の前では足音までは消しきれない。

この部屋には、三つの入り口がある。寸分違わず、三つのドアが開けられる。

奴らが俺を見つけるのも時間の問題。ここは、打って出なければなるまい。

カツン

一人の男の足元に何かが転がる。大きさはちょうど先のスタン・グレネード程度。

男は慌てて身を引き眼を隠す。他の二人も同様。

「残念」

俺はその男の額に銃を押し当てた。防弾チョッキを着ているといっても頭までは守れない。

相手が行動を起こす前にためらうことなく引き金を引いた。

ズドン

実は奴に投げたスタン、うまいことピンを折って抜いたように見せかけていただけで、実際はピンが入ったまま。フェイクだ。

実際は賭けだったが、賭けには勝ったようだ。

だが、残りの二人が同じ手にかかるわけがない。

フェイクをくらい、仲間を殺され、かなり頭にきているはずだ。

相手が銃を撃つより速く、地面のスタンを蹴り上げ、銃で打ち抜いた。

パン

流石にサングラスをかけていたと言っても、この暗闇に慣れた目で、しかもあの至近距離ではサングラスはあろうがなかろうが関係あるまい。

片方が目を押さえて銃を乱射した。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。だから、当たる前にドアの外に出かけに寸分違わず眉間を打ち抜いた。

ズドン

どうやらもう一人は避けきったらしい。俺を追って廊下に出てきた。

サシなら負ける気はしなかった。何の邪魔も入らなければ。

俺の視界には余計なものが入ってしまった。階段を登り四階に来た想定外の人影を。

相手も気付いてしまったらしい。相手は破れかぶれでそいつを狙った。

頭よりも速く、体が動いた。人影をかばい、引き金を引く。

ズドン

ズドン

相手の額に弾丸が直撃した。相手の弾丸は肩を少し抉った程度だった。

だが、問題はその後だった。

かばって彼の人影に飛びついたため、階段を転げ落ちる羽目になった。

今日三度目だった。

おかげで利き腕を痛めた。下手をすれば折れている。

おかげで、かばった相手は大した怪我をしなかったようだが。

俺のかばったその人は―



―話は、数時間前にさかのぼる。

「ここで待っててくれ。夜が明ける前には戻る」

「え、何処に行くんですか?まさか、『死神』さんの手伝いですか?」

俺はアンズと隣町のとある宿にいた。何処に行くか計画していたら日が暮れてしまい、夜の間に襲われたらたまらない、

と言う口実の元やってきたわけだが、本当の理由は彼女を極力巻き込まないことと、自分の正体がばれるのを避けるためだ。

ばれたところで彼女を逃がせばそこで終わりになるだけなのだが、怖かった。

正体を知られたら、なんて言われるのかが。

戦争中、俺のことを『死神』として見た者はいない。

我こそ『死神』と言うものはごまんといたが。

俺の『死神』を見た者は、例外なく死ぬその時。

何も言われなかった。その者たちは、間もなく物言わぬ屍となったからだ。

生きていて、俺を知っていて、俺が『死神』であると知ったら、彼女はなんて言うのだろう。

それだけが、怖くて仕方なかった。

「違う。奴は誰ともつるまない。組んだ奴さえその鎌で狩っちまうからな。俺は依頼主に依頼の完了報告と、

『死神』に報酬を払わなきゃならないんでね。何でも屋としての義務、最後の仕事さ」

彼女は不安そうな顔をした。

「大丈夫ですか?ジューダスさん」

「大丈夫さ。今までもそうだった。だから、何も問題ない。だから、君は俺が帰ってくるのを大人しく待っててくれ」

正直、そこでためらいがなかったと言えば嘘になる。

『黒死の獅子』に単身で挑んで、生きて帰れる保証など何処にもなかった。むしろ死ぬ確率の方が圧倒的に高い。

潰したと嘘をついて帰ってこようかとも思った。

だが、いずれ彼女にはそのことが知れ渡る。

彼女に正体がばれるの同じくらい、嘘をついたと見捨てられるのも怖かった。

「ジューダスさん」

部屋を出ようとした彼女が俺を呼び止めた。

「…『死神』さんって、どんな人なんですか?」

突拍子もない質問だった。なんて答えていいのかわからなかった。流石に自分のことを答えるわけにもいかなかった。

「…俺もよくはわからない。ただ」

「ただ?」

口が勝手に動いた。

「…淋しそうな目をしてた」

昔、俺に名前をくれた人が俺を見て言った事だった。

「…そうですか。じゃあ、会ったら言っておいて下さい」

彼女が自分の方に歩いてきた。そして逃亡先の住所を書いた紙切れを俺に渡した。

「ありがとうございました。もしよろしければ、お友だちになりましょう、って」

つくづく、彼女という人がわからなかった。正直、少し頭がおかしいんじゃないかとも思った。

自分から死にに行こうとしているようにしか思えなかった。

だが、次の言葉で、その考えは吹っ飛んだ。

「その人が淋しいのは、きっと周りに誰もいないからなんですよ。その人にはきっと友だちとか、一緒にいてくれる人が必要なんです。

私わかります。私も…そうですから」

「…」

どのくらい久しぶりだろう。人の言葉が、ここまで心に響いたのは。

「てい」

彼女の額にでこピンをした。

「あ痛っ。何するんですか?」

彼女を抱き寄せた。

「わっ」

彼女は突然起きた事を理解できていなかった。

「…今は。もう一人じゃないだろ?」

しばし、沈黙が流れる。

君は。本当に優しい人だ。だから、復讐なんかするな。

汚いことは、俺の役目だから。

その言葉は、胸に突っかかって出なかった。

「…悪かった。突然変な事して」

彼女から手を離した。彼女は顔を真っ赤にしていた。

「それじゃ、俺、そろそろ行くわ。留守番、よろしく」

そのまま出て行こうとした。

「必ず」

彼女が口を開いた。

「必ず、帰ってきて下さいね。ジューダスさん」

振り返らず、手を上げて答える。

ああ、帰ってくる。必ず―



―赤茶の髪をツインテールにした、自分とは頭一個分ぐらい違う少女。

 今は宿で俺の帰りを待っているはずの人。

 ここにいるはずなどない彼女。

―そこにいたのは、アンズ、だった。

「だ、大丈夫でしたか?」

自分よりも先に俺の心配をされた。

だが、そんなことどうでも良かった。

「何故、ここにいる!?」

君が、と言わなかったのは我ながら素晴らしいと思った。感情的に口を開いたが、自然と声が低くなっていた。

仮面もかぶっているし、何より暗闇だ。正体はばれるはずはない。…そうであってほしい。

「ご、ごめんなさい…あなた、『死神』さんですか?」

とりあえず彼女を抱えたまま寝転んでもいられない。立ち上がって彼女を立たせる。

「…周りの人は、皆、そう言う」

彼女が何か言いたそうだったが、幹部の残りの奴らの気配がしてきた。

「話は後だ!」

「わっ」

彼女を抱え走り出す。流石に彼女をかばいながら戦えるほど俺は器用ではないし、相手も弱くはない。

さらに、俺の利き腕はさっきの怪我で多分使い物にはならない。

それ以上に、時間がない。

ここは逃げるしかなかった。

だが、ここを潰すという目的は、まだ捨てなかった。

ひたすら走った。彼女を抱えながら。

気が付けば奴らの電気系統も回復してしまい、人員もどんどん増える一方だった。

戦闘は全て避けた。

彼女を危険にさらさないため。

彼女に人の死ぬところを見せないため。

今の俺は、鎌を捨てた『死神』同然だった。

鎌を捨てし『死神』は、ただ狩らるるのみ。

入り口前までやってきたが、人が多すぎてとても突破できるようなものではなかった。

後ろからはきっと幹部が追ってきている、前門の虎、後門の狼だ。

「降ろして下さい」

そんな中、彼女が口を開いた。

「こっちです」

彼女は出口とは丸っきり反対方向に走り出した。

俺は慌てて彼女を追った。

しばらく行くと、そこは行き止まりだった。後ろから追ってきている奴らがいなかったのが幸いだった。

引き返そうとした時、彼女が壁のある部分を押した。

ゴゴゴ

なんともありがちではあるが、隠し扉だった。もっとも、初めて見たものだが。どうやら地下に続いているらしい。

「さぁ、行きましょう」

彼女が何故ここを知っているのか謎だったが、じっとしているわけに行かず、彼女の後を追い、地下へと降りていった。

しばらく下って、壁が閉まる音が聞こえた。



「とりあえず、ここまでくればどうにか…ならないですか」

階段を降りきったら、そこは巨大な倉庫だった。辺り一面白い粉が詰まった袋。

ここは、麻薬保管庫だった。

「どうして、ここを知っていた?」

薄暗かったから、顔を見られる心配もないと思って、口を開く。あくまで、声は低くして。

「…私の村の人たちは、ここの組織に薬だと言って麻薬を飲まされ、一人残らず死にました。

手がかりを突き止めて、今日…もう昨日でしたか。この建物に潜入したんです。

そこで、ここに入っていく人を見たものですから。

本当はすぐでも麻薬を処分したかったんですけど、見つかってしまって。

もう一つの方の出口から逃げて、ジューダスさんに助けてもらったんです」

彼女は『ジューダス』にはそんなことを言っていなかった。だから、俺がそれを知るはずもなかった。

「『死神』さんは…ジューダスさんに依頼を受けたんですよね?」

「ああ、そうだ。そいつの話じゃ、お前は何処かに身を潜めていると聞いたのだが」

そういうことにしておく。

もっとも、今は会話よりこの状況をいかに打破するか、と言うことで頭が一杯だった。

さっきも言ったが、時間がないのだ。

「あ、その。ジューダスさんにここの事を言い忘れていて。組織を潰しても、ここが残ってたら、また誰かが同じ事をしかねないじゃないですか。

そう思ったら、いても立ってもいられなくて…ジューダスさんを探しに来たのですが、見当たらなくて。

そこに、この建物に入るあなたの影があったから、追ってきたんです」

彼女がこっちを真っ直ぐに見た。

「さっきは言い忘れてました。助けていただいてありがとうございました」

ぺこり、と頭を下げる。

「お前に死なれたら、ジューダスが悲しむだろうからな」

「え?」

とっさに言葉が出てしまった。

だが、これでいい。

俺は『死神』。『ジューダス』ではない。

「あいつ、俺に言ったんだ。大切な人ができた、ってな。すごくいい奴だって。こんなもんまで渡された」

照れている彼女をよそに、俺はポケットから例の紙切れを出す。

当初はどこかで破いて捨てるつもりだったが、そのままポケットに入っていたのは幸運だった。

「あ、ちゃんと渡してくれたんですね。それ、私が頼んだんですよ。あなたに渡して下さい、って」

彼女が微笑んでいる。

「友だちになりましょう、か。やめておけ、俺に関わるとロクな事がない。死にたくなければ下手に関わるな」

うまい言葉が見つからなかった。自然と乱暴になってしまった。

「でも、ジューダスさんは言ってましたよ。あなたが淋しそうな瞳をしていたって。あなた、周りに誰もいないんでしょう?だから」

「知ったような口をきくな!!」

彼女が驚いたようにびくっ、と身を引いた。

彼女が驚いた以上に、俺が驚いた。

一体誰の言葉だ。今の言葉は。

彼女の優しさが嬉しかった自分。

同情されているようで腹が立った自分。

本当の自分は、一体どっちなのだろう。

気まずい空気が流れた。

「…私だって、少しはわかってるつもりです」

先に重い口を開いたのは、彼女の方だった。

「私も、戦争で家族を亡くしました。その後の孤児院とか、いろんな所に行きましたけど、その度に戦争に巻き込まれて。

私だけが生き残って。やっと平和に暮らせると思った村さえ、ここの人たちに…」

彼女は膝を抱えて顔をうずめた。肩が震えている。

「…すまなかったな」

それしか言えなかった。知らなかった。彼女がまるで自分と同じような人生を歩んできたことを。

周りの人が死んでいく中、自分だけが生き残ってしまう苦しみを味わったことなど。

そんな人に会ったのは初めてだった。

「…本当は嬉しかった」

「本当ですか!?」

顔を上げて潤んだ瞳をこっちに向ける。

反射的に顔を反らす。

「…あぁ、本当だ。そんなこと言ってくれたのは後にも先にもきっとお前だけだ」

もっとも、今の俺らに後があるかどうか。

時計を見たが、意外と時間は過ぎていなかった。

「よかった。…あの、よろしかったら」

「しっ」

何かを喋ろうとした彼女の口を塞いだ。

誰かが近付いてくる。彼女を奥の部屋に行くように指示した。

「あの…死なないで下さい」

「俺を誰だと思ってるんだ?」

その会話を最後に俺と彼女は扉を隔てて分かれた。

時計を確認。あと数分。

いよいよ覚悟を決めねばならないかもしれない。

彼女を助けたい。

彼女と共に生きたい。

だが、自分の『命』というチップを賭けても、それは危ういかもしれない。

幹部三人と頭が降りてきた。

どうやら雑魚では相手にならないと判断したらしい。全員が銃を所持。防弾チョッキ、サングラス完備。

スタンはあと一個しかない。はっきり言ってもう二度使っているを知られているので、おそらく相手に効果は望めない。

愛用の銃は反動がでか過ぎて利き腕でないと多少ぶれる上連射に自信がない。

いつしかの教官の「もしものために両利きにしておけ」と言う忠告が痛く突き刺さった。

退路はない。まさしく八方の塞がり。さらには時間すらない。

彼女は隣の部屋にいる。覗いている気配はない。

選択肢はたった一つ。殺るしかない。

俺は厳重に封をして仕込まれていたあるものを取り出し、装着した。

俺の最後の術にして、最強の武器。

奴らが警戒しながら一歩一歩進んでくる。

三人の幹部は頭を守るように陣形を組んでいる。何処から狙っても、頭だけをやることは不可能だろう。

だったら簡単だ。

全員殺るまでだ。

ヒュン

奇妙な音に全員反応する。

だが、もう手遅れだった。

スッ

幹部の一人の腕がずるり、と落ちた。血を噴出しながら、悲鳴をあげている。

無理して痛めた利き腕を動かしていたため、狙いがそれた。

いや、この武器を使うのは久しぶりすぎたから、だろうか。

ヒュン

その男の首が、落ちた。

残りの三人が混乱している。人が隠れられそうなところに手当たり次第に弾丸を打ち込んでいる。

麻薬の粉が当たりに撒き散らされ、煙となる。煙に紛れて奴らの前に出る。

ヒュン 素早く攻撃を仕掛ける。残りの幹部二人を捕らえた。

利き腕の分、口を使って動作を行う。

ズバッ

二人の首が落ち、血が噴出す。辺りは麻薬の粉で煙たい。

お互いの顔が確認できるまで、俺は奴に近付く。

そして仮面を外して見せてやった。奴は俺の顔を見て驚愕していた。

自慢の部下たちを全員殺した奴が、こんなガキだったからだろうか。

それとも、俺のこの武器だろうか。

超硬質ワイヤー。繊維の刃。極限にまで鍛えられた糸は、その細さにも関わらず、肉どころか骨まで立つ。

こんな風に埃やら煙やらでも立たない限り、肉眼が捉えることは不可能。

さしずめ、捉えること叶わぬ『死神』の鎌。

奴の顔を見て、ある事を思い出した。

その頬についた傷。数年前、俺がつけたものだった。この鎌で。

こいつはあの人を殺した奴だった。

俺に名前をくれた、あの人を。

そして、こいつは唯一『死神』と戦い逃げ出せた、否、逃げ出し生き残った奴だ。敵前逃亡など、銃殺刑級なのにも関わらず。

だが、『死神』から逃れられた者はいない。

俺は再び手についたワイヤーを振るった。麻薬の粉が撒き散らされていく。

後ろからぞろぞろと下っ端どもがやってくるのが見えた。

奴は大切な部下を失ったショックと、再び死神に会ってしまった恐怖から混乱していた。

俺は仮面をつけて全速力でアンズのいる部屋へ向かった。

時計を見た。残酷にも、時間は待ってくれなかった。

俺が部屋に入ったのと同時に、奴が銃の引き金を引いた。

密閉空間に充満した。大量の粉塵。起こりうる事象はひとつしかない。

部屋に入るや否や、俺はアンズを抱きしめた。

ドォン

凄まじい音がした。ドアがひしゃげた。

それと同時に、時計が残酷にも時を告げるアラームを鳴らす。

ピー

この建物の至る所に設置された時限爆弾が一斉に爆破した。

建物は崩壊を始めた。

本来なら、この時間には既にアンズの待つ宿へと向かっているはずであった。

彼女は立ち上がらせ、出口を案内させた。彼女の話によると、出口は二つあるらしい。

この建物の内部と、外部。もちろん目指しているのは外部だった。

ガラガラ

ズドン

上から降ってくる瓦礫が行く手を阻んだ。

そしてついに。

その時は、やってきた。

彼女の頭上めがけて瓦礫が降ってきた。

「危ない!」

頭よりも速く、体が動いた。

それをきっかけしたかのように、建物は一気に崩壊のスピードを速めた。



息苦しかった。

それもそうだろう。ここは地下だ。空気がなくなるのも、時間の問題だ。

「…う、うん…」

彼女は気が付いたようだ。どうやら無事らしい。

もっとも、この状況を無事と呼べるかは微妙であるが。

彼女は地面に倒れこみ、俺はそれをかばうような形で覆っていた。膝をつき、両手を彼女の顔の横についている。

「大丈夫か?」

彼女に声をかける。

「あ、『死神』さん。私は大丈夫です。あなたは…?」

ポタリ

「すまん、汗が落ちた」

彼女が顔に落ちた液体をぬぐった。

「これ…血じゃないですか!怪我してるんですか!?」

どうやら彼女をかばっているうちに瓦礫を受けてしまったらしい。

もっとも、今は感覚が麻痺してしまっていて、痛みなど感じないのだが。

「心配するな、かすり傷だ」

「ちゃんと傷を見せて下さい。仮面、取っていいですか?」

彼女が仮面に触れそうになる。

「下手に動くな!大人しくしてろ!」

びくっ、と彼女が動きを止める。

「今、瓦礫がギリギリの所で止まってる。下手に動いたら、お互い車に轢かれた蛙みたいにぺちゃんこになるぞ」

反射的に出た言葉だったが、あながち嘘ではなかった。

背中に重みを感じる。腕と足はおろか、顔も動かしたらヤバイかもしれない。

「心配するな。ちょっと切っただけだ。大したことじゃない」

不安そうな顔をした彼女と仮面越しに視線が合った。

これが、最期かもしれない。

そう思ったら、口はいとも簡単に動いてくれた。

「…少し、話を聞いてくれるか?」

それから俺は、『死神』として、自分は例の孤児院の生き残りであること、戦場のこと、自分の周りの奴らはみんな死んでいったこと…

色々話した。

おそらく人生で一番話しただろう。

最期、だから。

「で、ここからが本題だ。実はな、アンズ。この組織を潰すなんて依頼。本当は有りもしなかったんだ」

その言葉に、彼女は目を大きく見開いた。

「え…でも、ジューダスさんは元からあったって」

「まぁ、少し聞いててくれ。あいつはな、自分のしてる事に矛盾を感じていた。

そして、独りである自分が、淋しくてしかたなかった。

あいつもな、俺みたいな境遇の奴でな。独りぼっちだったんだ。

依頼しにくる奴はいるが、どいつもこいつも自分のことしか考えてない、って愚痴ってた。

そんな時に、お前が現われたのさ」

「私…ですか?」

彼女はきょとんとしている。

「あぁ、お前だ。

あいつは言ってた。この町であの仕事して初めて、そいつのために命を賭けてもいいって思える人に出会えたってな。

そう思ったら、口が勝手に動いちまった。人生最大の不覚だったってな」

「え…それ、どういうことなんですか?」

「お前はさ、自分以外の人のために自分の命を捨てようとしてた。例えそれが無駄死にであろうとな。

それがあいつの心を動かしたのさ。仕事をやめるってのは、それだけの覚悟をしていたって事だ。

俺のような『死神』の運命から…自分だけが生き残る宿命に、ピリオドを打つ気でいたんだ。

もっとも、君に連れて行かれるおかげで、それもできなくなったがな。それとな」

一旦言葉を区切った。

「君は、綺麗な目をしていたからな」

彼女の顔が赤く染まっていた。

「お前には、本当に申し訳ないと思っている。俺の『死神』の宿命に巻き込んでしまって。

お前まで、俺の『死神』の鎌の餌食にしてしまって」

目を瞑った。涙が流れそうなのをこらえるためだ。

「いえ、いいんです。私も…きっとあなたと同じ運命を背負って生きてきたんですから。

ただ、ジューダスさんを、また独りぼっちにしてしまうのが…」

彼女はぎゅ、と目を強く閉じた。微かに震えている。

「…俺はお前に礼を言いたい。俺に死を与えてくれた、お前に」

「…なんですか、それ。殺してもらっておいて礼を言うなんて変ですよ。それに、私はあなたを殺してなんていませんよ」

ひきつったような笑いを浮かべた。目の脇からは涙が流れ、地面を濡らしている。

「…祈ってやる。俺が、いつも鎌の犠牲になったものたちに祈ってたものだ」



―『死神』の鎌に狩られし者たちよ。

 汝らの不幸な魂は、天へ昇り逝く。

 そこは苦しみのない、自由な世界。

 この世にて平穏に生きられぬのなら、

 せめて汝らに安らかな眠りと。

 そして、来世での幸福を祈る。

 願わくば、彼の者たちに安らかな眠りを。

 願わくば、彼の者たちに来世での幸福を。

 いつしか、我の鎌が人を狩らぬ日がくることを―



彼女は、安らかな顔をしていた。生きている人に聞かせたのは、最初で最期だった。

いつも俺は願っていた。

狩ってきた者たちの、あの世のでの安息と、来世での幸福を。

それが叶ったかは知らないが、少なくとも最後の願いは最期に叶った。

自分の死、と言う結果で。

でも、彼女は救えなかった。

「きっと、届きますよ」

彼女はそう言ってくれた。

「…ありがとう。すまないが、最期の願いを聞いてくれないか?」

どうせ死ぬのなら、後悔のないように死にたかった。彼女は微かに頷いた。

「なんだか暑くなってきた。仮面、取ってくれないか?」

「…はい」

彼女はゆっくりと頷き、のろのろと仮面に手を伸ばした。

パチン

仮面をとめていたパーツが外された。恐る恐る仮面を視界から取り除いた彼女。

「あ…」

「…アンズ、悪かったな。嘘ついて。鎌にかけちまって…」

罵ってくれたほうが、多分楽だったと思う。

彼女は、驚いて何も言えなかった。

「それでも君は、まだ俺の瞳が綺麗だって言えるかい?」

彼女は目を反らした。

予想はしてた。こうなることは。

俺も目を反らした。

「…です」

彼女が小声で何かを言った。

「…なんだって?」

「綺麗ですよ。とっても。淋しげですけど。私がいるのに、どうしてあなたは淋しい瞳をしているんですか?」

もう言葉が出なかった。

涙が出た。もうしばらく拝んでいない。とうの昔に枯らしたと思っていたのに。

「…ありがとう、アンズ。死ぬ前に、君に会えて、本当に良かった」

震える声で、精一杯お礼を言った。

涙が、彼女の顔に落ちた。

「どうして、泣くんですが?あなたには私がついてます。淋しくなんか、ないでしょう?」

「人はな、嬉しい時も泣くもんなんだよ。俺は、きっと今が一生で一番幸せなんだよ」

本当に、嬉しかった。

死んでもいいと思った。

彼女が俺の頬を撫でた。涙を拭いてくれた。

彼女が俺の首に手を回した。唇が触れ合った。

瓦礫が崩れたのは、それとほぼ同時だった。



かくしてかの『黒死の獅子』の本部は生存者0と言う悲惨な事件により、壊滅した。

そんなことをできるの『死神』しかいない。誰もが思ったことであった。

その日より、何でも屋『イスカリオテ』は存在しなくなった。

その地域ではその一致を偶然とは思わず、少年『ジューダス・トレイター』は『死神』だったのではないか、と言う噂さえ流れた。

だが、彼の行方を知るものは誰一人としていなかった。

『黒死の獅子』の二の舞を避けるため、どの組織も争いをやめ、後にその地域は平和となった。

彼が愛した、腐った町は、皮肉にも、彼の手によって平和な町になった。



―『死神』に狩れないものは、この世にはみっつしかない。

 ひとつ、生無きもの。

 ふたつ、自分自身。

 そして、最後のひとつは。

 …同じ、『死神』―



彼女がそれらのいずれかに当てはまったのか、

あるいは、俺が『死神』の鎌を捨てたのか。

答えは、最早闇の中だった。

たったひとつ、わかっていることは。



―鎌を捨てし『死神』は、『死神』に非ず。ただ、狩らるるのみ。

<了>

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