「よぉ、嬢ちゃんまたか。相変わらずやるねぇ。ほい、じゃあこれが今回の報酬。まったく、うらやましいもんだ」 男が出した札束を受け取り、さっさと建物から立ち去る。 お互いこんな仕事をしていなければ、一生出会う事もなかった、と思う。 人の出会いも別れも所詮その程度。 「一期一会だ」と言う人もいるが、そもそも「一期一会」に「出会いや別れを大切にしろ」という意味はない。 とかく、私は人付き合いにあまり必要性を感じない。それはある意味、嫌いの域に入るかも知れない程に。 建物から通りに出て、人混みを避け、裏路地の方に回って家を目指す。 歩くこと数分、我が家―家と呼ぶには少々抵抗があるけど―に到着する。 壁が所々剥げていて、まさしく、雨風をしのぐための掘っ立て小屋だ。 家に入り、上着を脱ぐ。シャワーでも浴びたい気分だけど、生憎つい先日ついに逝ってしまわれたまま、修理されていない。 頼んだ気もするけど、いつ来ると言ったか定かではない。 …自分の記憶の曖昧さ加減には呆れる。 とりあえず、今は疲れている。ギシギシと不快な音を立てるソファー兼ベッドに体を横たえ、少し眠ろうと思う。 「…その前に」 誰がいるでもないけど、そうもらす。 自分には時々独り言を言う癖があるらしい。 直す人がいなければ、直すつもりもないので改善の兆しは全くない。もっとも、気にもしていないけど。 脱ぎ捨てた上着のポケットから、年季の入ったラジオを取り出す。 機械という物にとことん弱い私が唯一扱える、簡易ながらも立派なメカだ。 スイッチを入れ、周波数を合わせる。ニュースでも聞こうかと思う。 ピー…ピガー… 周波数を合わせても耳に障るノイズしか聞こえてこない。 今の時間はニュースはやっていないか、と考えて、他の周波数もひと通り合わせてみるけど、飽きもせずに流れてくるのはノイズばかり。 「…あ」 ここまで来て私はようやく自分の失態に気付き、ラジオを自分の身から離す。 今は仕事が終わった後で、まだ『これ』が残っていたらしい。 疲れているから仕方ないとは言っても、日常生活に支障をきたしかねない『これ』をそのままにしておくとは、私の物忘れも重症みたいだ。 そのうち自分が埋めた地雷を踏んでお亡くなりになりそうだ。 いや、地雷など埋めてはいない…はず。 「ごめんくださーい」 一度地雷探知機で家中検査でもしないといけないかな、と考えていると、扉の向こうから元気のいい声が聞こえてきた。 どうやらシャワーの蘇生者がやってきたみたいだ。 「はい、今開けます」 一応、こんなおんぼろの家でも鍵だけは比較的まともで、家にいる時は鍵をかけている。 無論、理由は極力人付き合いを避けるためだけど。 修理中何処で時間をつぶそう、と考えつつ、鍵を外す。 そして何の抵抗もなく扉を開ける。 はずだったのだけど。 バチッ 「いたっ!」 ガシャガシャン 相手がドアノブに触れた瞬間、蒼い光が走ったらしい。つまりは静電気。 とりあえず音が音だっただけに、様子を見ようと顔を出す。 「あの…大丈夫ですか」 社交辞令程度に相手の心配をする。 「すみません…あれ?」 彼が私の顔を見つめているようだ。 思わず視線を反らし地面に向ける。地面にはドライバーやペンチといった工具らしき物が散らばっている。 「あ、大丈夫です。ちょっと静電気が。最近乾燥してますしね」 彼は何事もなかったかのようにしゃがみ込んで、工具を拾い出す。 彼が落とした工具は結構な量で、そのどれもがよく使い込まれている辺り、彼はこの手の仕事には慣れているのだろう、ということがうかがえた。 いつまでも見ているだけと言うのも悪い気がしたので、拾うのを手伝うことにした。 「あ、すみません、わざわざ」 律儀にお礼を返される。 「いえ」 工具を拾い、工具箱の中に入れていく。 最後の一本を拾う時、互いに触れてしまった。
―頭の中を、何かノイズの様なものが駆け抜けた。
そして、私が手を放すより早く、それは起きてしまった。 ―あぁ、数十秒前の教訓を忘れるとは。どうやら今日の私は随分と冴えているみたい。別の意味で。 名も知らぬ修理屋さん、申し訳ない。 バチッ 「あいった!」 本日二度目の修理屋さんの悲鳴が響き渡った。
「ほい、今日もお疲れ様」 テーブルの上に紅茶が出される。どうも、と言って紅茶を口にする。 「まったく、あんたのボロ家にだって電話くらいあるでしょ?来るなら来るで連絡くらいよこしなさいっていつも言ってるじゃない。 こっちだって色々忙しいだからね」 正面に座った彼女が不満をもらす。 「忙しい人は、狙ったかのように扉を開けた瞬間に襲いかかってきたりはしないよ」 もっとも、昔からの慣れっこなので難なくかわしたけど。 ちなみに今日はウエスタンラリアットだったから、カウンターで投げ技をお見舞いした。 それでも彼女は華麗に受け身をとっていた。 「う…それが忙しい中愛を籠めて出迎える家族に向かって言う言葉なわけ? あぁ、どうしてこの子はこんな不良娘に育っちゃったのかしら…」 およよ、と泣き真似をする。 次には「私はあなたをそんな風に育てた覚えはありません!」と来るのだろうな、と思って、 「あんたに育てられた覚えはないよ」 「私はあなた…って決め台詞すっ飛ばして先に進むんじゃないわよ!」 あぁ、まったく変わらないな、と思う。 あの後、修理屋さんにシャワーのご遺体の方を見てもらったのだけど、蘇生には三十分程かかるとの事だった。 そこで家は彼に任せて、私は時間つぶしがてら外出をすることにした。 ときに、今私がいるのは教会。 どちらかと言えば孤児院の方が主流になっていて、私も昔から度々お世話になっている施設だ。 そして、目の前にいる天真爛漫と言う言葉を具現化した、あらゆる物事を気合いと根性で乗り越えて行けそうな、 そんな彼女の名はマリーゴールド。もっとも、彼女を知る誰もが彼女を「マリ」と呼び、彼女自身もその愛称を気に入っている。 人付き合いというものしない私が交友関係を持つ数少ない、いや、唯一とも言える人物だ。 付き合いは互いが子供の頃から、十年来に及んでいる。 ここまで来ると最早腐れ縁としか言いようがない。 「それで、今日は何用?」 「家に来た修理屋さんに不可抗力で被害を及ぼしたから、居たたまれなくなって逃げてきた」 嘘は言っていない。 「な、ついに見知らぬ他人にまで手を出すようになったなんて…」 「もうその話はいい。話が進まないから」 はーい、なんて不服そうに返事を返すマリ。 「ま、そんな事は実際どうでもいいんだけど。これ、今回の分」 上着のポケットから先刻受け取った札束を取り出し、数枚を抜き取って残りをテーブルの上に置く。 「きゃー、お姉ちゃん大好きー!」 「誰がお姉ちゃんだ。あと引っ付くな」 マリの頭を押さえて抱きついてくるのを阻止する。 彼女は照れちゃってもー、などと口にしつつ、座り直して札束を手に取った。 「はぁ、こりゃまた随分と稼いだねぇ。ひーふーみー…うっわ、私の月収より多くない!?」 「ああ、今回は随分と大物だったから…ってこらそこ、ばれないと思ってさりげなく懐に忍ばせない」 「えー、いいじゃない別に。減るもんじゃあるまいし」 「いや、減るよ」 冗談よ、やーねー、と言って札束をポケットに入れるマリ。 誤解を招くような行動をしているけど、そんな彼女だって自分の収入の大半を寄付しているし、流石にそこまでは腐ってはいない。 「ところで、最近みんなはどんな感じ?」
しばらくして、時計を見る。時間はつぶせたようだ。 今から戻れば、ちょうど修理が終わる頃に着くだろう。 「それじゃ、私はそろそろ帰るから」 「えー、もっとゆっくりしてってもいいじゃない、足長おばさん」 「…その呼び方はやめて。おじさんでもなければおばさんでもない。本物の足長おじさんに失礼でしょ。 それに…私はそこまで立派じゃない」 余談ではあるけど、この孤児院は今日みたいな私の寄付、マリの寄付、その他公共からの寄付、 そして一定間隔で送られてくる匿名の、いわゆる『足長おじさん』からの寄付で成り立っている。 もっとも、その寄付全体の大半を占めているのが足長おじさんである。 私は立ち上がって出口へと向かう。 「じゃあ、せめて子供たちに顔見せてけば?喜ぶよ、あの子たち」 後ろからマリの声が聞こえる。 「…いや、遠慮しとく。顔合わせたらしばらく帰してくれないから、あの子たち。 それにあんまり修理屋さんを待たすわけにはいかないから」 子供らに見つからないように、裏口の扉から出る。 「じゃあ、儲けたらまた来るから。あの子たちによろしく」 そう残して立ち去ろうとした時、マリが私の正面に回って言った。 「…ただでさえ危ない仕事なんだから、無理はしないでね。あんたは我慢して外には出さない子だから。 何かあったらいつでも来なさい、エル」 滅多に見せない、大人しい彼女の姿があった。 「あぁ。あんたもね、マリ」 そして私は教会を後にした。
私らが住んでいるこの地域は、私が生まれるよりさらに前…二五年近く前に起きた大地震によって、大規模な地殻変動が起こった。 そして、それによってできた山脈により、他の地域から分断された。 それでも、何年かして「あちら側」からの救助がやってきて、その救助の架け橋である山脈に開けたトンネル付近を中心に、 「こちら側」も徐々に復興し始めた。 しかし、未だに治安は安定しない。少し奥まで進めば、そこには無法地帯が広がっている。 まぁ、何でもありだということで、兵器や薬の密造だとか、人体実験だとか、色々やりたい放題らしい。 さらには、この過酷な環境の中で新たな進化を遂げる者もいるのだとか。ま ったく、人間の適応能力にはつくづく感心する。むしろ感心を通り越して呆れる程だ。
…まぁ、私もそのひとりではあるのだけど。
家に着くと、ちょうど彼の修理屋さんは浴室から出てくる所だった。 「どうもすみません、急に留守を頼んでしまって」 「いいえ、お安いご用ですよ。修理の方はすみましたから、とりあえず確認して下さい」 彼に導かれるまま、浴室に行く。あれこれ説明されたが、よくわからなかったは興味がなかったからか、一般人には理解し難いものだったからか、 単に私がこういうのに疎いだけだったからかは定かではない。 しかし、シャワーは完全に蘇生していたし、なんだかシャワー以外も色々直されたような形跡があったし、彼は随分いい仕事をしてくれたらしい。 「ありがとうございました。少ないかもしれませんが…どうぞ」 先程抜き取ってきた大きい額の札を数枚渡す。 「え、いや、こんなに受け取れませんよ」 彼が驚いて言う。修理の相場などまったくわからないが、そんなに多かったのだろうか。 「いえ、シャワー以外にも色々直して頂いたようですし。これくらい受け取って頂かないと悪いです」 彼は少し考え込んだような風をして、 「…ありがたく受け取らせて頂きます」 しぶしぶ、と言う感じで代金を受け取った。 「…あの」 うつむいていた彼が急に顔を上げてつぶやいた。 「何か?」 「…いえ、また何かあったら、遠慮なくどうぞ」 何か言いたそうな顔を笑顔で消し、そうとだけ言って彼は玄関から出て行った。 「…変な人」 もう遠くへ走り去った彼の背中に向けて、そんな言葉をつぶやいた。 不思議と彼には普通の人より、ちょっとだけ感情を持っている自分がいた。
―また何か、ノイズが頭を。
ソファーがあんまりうるさくなくなっていたのは、多分気のせいに違いない。 珍しく他人が気になってしまっているのも、多分疲れすぎで気が参っているのだろう。 私はそう自分に言い聞かせて、眠りについた。
―その日、珍しく夢を見た。 私の夢は、ただの記憶の焼き直し。 ただ薄れていくだけの過去。 ただ摩耗していくだけの記憶。 でも何だって。 こんなにも、頭にノイズが駆け
「あぁ!」 ドン ガタン ガシャン …どうやら私はソファーから床に落下したらしい。 最近寒くなってきたくせに、体は汗をかいている。 久しぶりに夢を見たせいだろうか。どんな夢を見たかは覚えてない。思い出そうとしてもノイズが走るだけ。 でも、私が見る夢は決まってろくなものじゃない。ともすれば、うなされて落ちたと考えるのは妥当な所かもしれない。 「まったく。どうにかならないか、私」 なんて自分に悪態をついてみても、何が変わるでもない。 「とりあえず、ラジオ…」 ラジオを聞いている時は落ち着く。人間普段行っていることを行うと精神的に安定するらしい。 その裏もまた然り、だけど。 手探りでラジオを探す。しかし、普段置いてある安物のテーブルは私が落ちた時に巻き込まれて倒れていた。 ふと、視線を落とした。 「…最悪」 どうにもならないことが、口からこぼれた。 私が昔から、それこそマリとの関係よりも長く慣れ親しんできたラジオは、見るも無残に分解していた。
「いらっしゃいませー…あ、昨日の」 「ええ、昨日はお世話になりました」 私は今、昨日色々とご迷惑をおかけした修理屋さんの店にいる。 カウンターまでの一直線はかろうじて通路として確保されているが、その脇には様々な機具の残骸や部品が置かれていた。 結局、あれから私は、例え分解した部品をすべてかき集めたとしても、私がそれを直せる可能性は、マリが大人しい女の子になる可能性より低い ―もっとも、そうなったらあらゆる手を使って彼女を元に戻すだろうけど―と悟り、大人しく修理屋さんへとやってきた。 「今日はどうしましたか?あ、ひょっとして昨日ので何か都合が悪いことでもありましたか?」 「いいえ。とても助かりました」 実際、彼は十分すぎる仕事をした。今朝普段の生活を送っただけでそれがわかる程に。 呆れた事に、昨日あの短時間で浴室だけでなく台所まで手を加えていたとは、彼はやはりただ者ではなかった。 「今日は、これなんですけど」 ポケットからラジオの残骸を取り出す。 「ちょっと待って下さいね…えっと、この上に乗せてもらえますか?」 言われたとおりに、彼が差し出したトレイの上に部品をひとつひとつ乗せていく。 足りているかは知るよしもないが、とりあえずある分は全て持ってきた。 ポケットに穴が開いているという古典的なミスもない。 「結構古い型なんですけど…直せそうですか?」 彼に直せなければこの世に直せる者がいない気がするのは、私の考えすぎだろうか。 「…まぁ、とりあえずやってみますね。明日頃には終わると思います。 …一応、名前と連絡先を教えて頂けますか?昨日は場所だけしか聞いてませんでしたから」 一瞬顔をしかめてしまった。まぁ、彼の職業柄、相手にそう言うことを聞くのは至極当然の事なのであろうけど。 「…ライト」 「はい?」 「アレキサンドライトです。明後日に取りに来ますから。多分今日明日は家を空けると思うので」 それが最大限の妥協。これ以上、自分のことを他人に晒すのはごめんだ。 「それでは、よろしくお願いします」 軽く会釈をして、そのまま彼に何も言わせずに立ち去ろうと思った。 「あ」 その声を出したのは私。振り返って彼の前に行く。 「これ。私の家の、玄関の陰に落ちていましたよ」 今朝、家を出る時に見つけた工具を別のポケットから出す。昨日派手にばらまいた時に拾い忘れたものだろう。 「あ、そんな所にあったんですか。ありがとうございます」 彼はトレイをカウンターに置き、工具を受け取ろうと手を伸ばす。 工具を受け取る時に、意図せずであろうけど、またしてもお互いに手が触れてしまった。
―少しくらいなら耐えられる。どうやらその考えは相当甘かったらしい。
―頭を、ノイズが、駆け
パンッ 頭が命令を下す前に、体は行動を開始していた。何の力加減も、ためらいもなく彼の手を振り払っていた。 「あ」 振り払われた彼以上に、振り払った私が驚いた。 そして、胸が、痛んだ。 今すぐこの場から消え去りたかった。 彼が何か言っているようだがもう耳にすら入らない。振り返って駆け出す。 肩を掴む彼の手を振り払って、勢い余って倒れそうになる。 彼は私を支えようと手を伸ばし。 バタンッ 結局、その努力もむなしく、彼が私に覆い被さるような形で倒れ込んだ。 心臓が動悸する。血が体中を駆け廻って体が沸騰しそうになる。
―何も聞こえない。何も考えられない。ただ。
―頭に、ノイズが 振■払え 突き■ばせ 殺らなきゃ■られ
理性が焼き切れる寸前。反射的に私の体は行動を開始した。 彼を突き飛ばしただけにとどまらず蹴飛ばしさえして、私はドアと突き破らんばかりの勢いで出て行った。
―そして、ただただ走った。
教会の庭で掃除をしているマリを見つけた。 「あら、どうしたのよ、そんなに息切ら」 ガバッ ためらうことなく、彼女に抱きついた。 「ちょ、何よ、いきなり抱きついてきちゃって」 「…お願い、マリ。お願いだから、少しこのままでいさせて」 状況を察してくれたのか、マリが私を抱きしめてくれた。 「…エル、大丈夫だから。気が済むまでこうしてなさい」 「…ごめん、マリ」 「それは言わない約束でしょ?」 それから私が落ち着くまでの少しの間、彼女はずっと私を優しく抱きしめていてくれた。
私は人付き合いにあまり必要性を感じない。それはある意味、嫌いの域に入るかも知れない程に。 ずっと昔から、それは変わらず私の中にあり続けた。 だけど、昔の私は人付き合いをしようと思えばできたのだと思う。 …今ではそれも叶わぬ夢なのかもしれないけど。 私には人付き合いにおいて、致命的とも言える欠点がある。
―人が、怖い。
極論を言ってしまえばそうなる。 厳密に言えば、他人に触れられることが怖い。 手が触れ合うような、わずかに触れられただけでも過剰に反応を示してしまう。 多少なら振り払う程度で終わってくれる。 しかし、さっきのように他者と体が密着するような状況では話が別になる。 そうなると、私は自制が効かなくなる。その後の事は私にはどうにもならない。 何が原因かと言えば、心当たりはひとつしかない。 過去の一時点の、ある出来事のせいだ。 それ以来、私は他人に触れられることに対して異常なまでに恐怖を感じるようになった。 そして、それ以前の記憶に穴が開き、思い出そうとすると決まって不快なノイズが頭の中を駆けめぐる。 触れられてもノイズが走るのは、おそらくフラッシュバック、だろう。 もっとも、不思議なことに、その出来事以前からの付き合いであるマリや、教会の子供たちから触れられること、 加えて、こちらから他人に触れることに対しては何の問題もない。 こんな異常を持ってしまったけど、私は不便だとは思わなかった。 私にとっての世界は、自分と、マリと、教会の子供たちだけだった。 その人たちが幸せであってくれれば、私は満足だった。 だから私は、その世界を守る為に生きてきた。 今までずっとそうやって生きてきた。これからもずっとそうやって生きていくだろう。 だから、私は人付き合いにあまり必要性を感じない。それはある意味、嫌いの域に入るかも知れない程に。
「どう、少しは落ち着いた?」 昨日と同じように彼女が出したお茶を飲む。 大分落ち着いたが、まだ心臓はいつもより速いペースでリズムを刻んでいる。 まぁ、ブレーキのかからない全力疾走をあれだけすれば、無理もないけど。 「ああ、大分マシになった」 しかし、これからを考えると今度は頭痛がしてくる。 不可抗力とは言え、何の罪もない修理屋さんを突き飛ばした挙げ句蹴飛ばしたのだ。 これで彼との関係も終わってくれれば全く問題はなかったのだけど、生憎私のラジオは彼の手元にある。 加えて、無意識に掴んだままだった彼の工具も私の手元にある。 「まぁ、なんとかするしかないか」 ぽつり、と独り言をもらす。 「あ、そう言えば、また新しい賞金首が出たらしいわね」 暗い雰囲気を吹き飛ばすかのようにマリが言う。とても年頃の女の子ふたり組が明るく話すような内容ではないけど。 「へぇ。最近は賞金首がばんばん出るから、私も仕事がしやすいよ。で、今回はどんなやつ?」 「結構出てたと思うんだけど。ちょっと待って、今持ってくるから」 マリが部屋から出て行く。 ちなみに、ここはマリの私室だ。 ふと立ち上がり、写真立ての写真を手にとって見る。そこには五人の人が写っていた。 随分昔に撮った写真で、確か私も家のどこかにしまってあったはずだ。 大人の男がふたり、その前に女の子がふたり、男の子がひとり。
―私と、父さんと、マリと。 残りのふたり。■■■■■という■の■と■■■■■さん また、ノイズが。
「おまたせー!…って何写真持ってぼーっとしてるのよ」 マリが私の顔をのぞき込んでくる。 「何でもない。あんたは変わらないな、って思っただけ」 「何よ、それ。まるで私が進歩してないって言い方じゃない」 不服そうに頬を膨らます。 「いや、進歩はしていると思うよ。日に日に技が過激になっていっていたから。今でも日々鋭さが増しているし」 「そりゃあもう、伊達に毎日あの子たちの相手はしてませんから」 えっへん、と胸を張るマリ。実際彼女はその点に関しては、日々進歩していると思う。 今はまだ私の方が強いけど、そのうち冗談抜きで私よりも強くなるかもしれない。 「それはいいとして、はい、新しい賞金首。なんか最近どんどん出てくるわよねー。そのうちあんたにもかかるかもよ?」 「へぇ?そうなったら友情を捨てて私を引き渡す?」 「んー。引き渡してお金もらったら、あんた逃げてきなさい。そうしたらまた引き渡すから。これを繰り返せばここは安泰だわ」 うんうん、とひとりで納得するマリ。 「その時は、共犯者としてあんたも一緒に刑務所行きにしてやるから」 確かに、最近の賞金首の多さは少し異常だ。私としては商売繁盛で嬉しいのだけど、マリの冗談ではないにしろ、 そのうち本当に私のような奴にもかかるかもしれない。 その時までに彼女が私よりも強くなっていないで欲しい。是非とも。 賞金首のリストに目を通していると、心当たりのある者が見つかった。 「今回もいいカモがいた」 「へー、どの人…ってうわ、一番やばい人じゃないの、この人」 そのカモの名はロベルト・タイラー。 この辺り一帯を支配していると言っても過言ではない組織の長で、 人さらい、人身売買、兵器の密造・密売など、様々な分野での犯罪の指揮を執っていると噂される。 しかし、その鮮やかな手口から、怪しいにもかかわらず証拠が全く見つからないため、軍も迂闊に取り締まれず、 さらにはその強大さ故に強硬手段もとれないと言う、やっかいな組織である。 しかしまぁ、幸運と言うべきか。昨日彼がある建物の中に入っていく姿を目にしたばかりだ。 さらにそこにしばらく身を隠すと言う話をしていたのも聞いた。 ここまで好条件が揃っていて、行動に出ない手はない。 「あぁ、やばいだけあって賞金は周りと桁違いだ。これだけあればしばらくは遊んで暮らせる」 そう言えば飛びついて来るだろう、と思ったのだけど、マリは何かを考えているようだった。らしくもない。 「どうかしたの、マリ?」 「あ、ううん、何でもない。…でもさぁ、エル。この人どっかで見たことない?いや、新聞とか雑誌とかじゃなくてね」 煮え切らない彼女の言葉を聞き、とりあえずじっと写真を見つめてみる。
―私の■を■でてくれた■■■■■さん 私を■きしめてくれた■■■おじさん
ノイズが走る。それも強烈に。
「痛っ」 頭を走るノイズに耐えられなくなって思考が中断される。 「ごめん、変な事言っちゃって。大丈夫?」 「ちょ、なんか気持ち悪いよ、マリ。あんたから心配してくるなんて」 普段は例え瀕死の重傷でも「気合いで何とかしなさい」とか言いそうなマリも、時々変に優しくになる。 その時はいつも昔の話をしていて、私の頭にノイズが走って、思い出せない時だ。 彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。 「いや、だってさ。ただでさえロボ疑惑のあるあんただよ? 記憶回路がショートして無差別大量虐殺なんか始めたら、私どうすればいいのさ」 …前言撤回。誰がロボだ、誰が。 「心配しなくても大丈夫。 もしそうだとしても、この間私が楽しみに取っておいたケーキを、あんたが食べた記憶だけは消えないから」 食べ物の恨みは恐ろしいと言うし。先日仕事が終わってから食べようと思ってケーキを隠しておいたのだけど、跡形もなく消滅していた。 犯人は見つかっていないけど、マリ以外にありえないと私はふんでいる。 「…何を言ってらっしゃるのかしら?私はあなたが仕事の後に食べようと思って冷蔵庫の下の段に隠してあった、 ブルーベリーのチーズケーキなんて、口にしていませんわよ?私イチゴショート派だし」 冷や汗を流し、わざとらしく目を反らし、さらには口笛まで吹き始めた。 「マリ。私、正直な人って好きよ?」 「そう?ありがたく受け取っておくわ… だから、その今にも『殺します』言わんばかりに手をゴキゴキさせるのやめてくれないかな?はは、は」 一発どぎついのをお見舞いしてやろうかとも思ったけど、気が変わった。 「まぁいいわ。今日はさっきのでチャラってことにしといてあげる」 「ほっ。脅かさないでよね、もー」 実際、それでもお釣りをあげたいくらい彼女には感謝しているのだけど、それを言うと調子に乗るのは目に見えていたので、口には出さなかった。 時計を見る。さて、時間的にはそろそろ戻って準備をする頃合いだろうか。私は立ち上がって出口を目指す。 「それじゃ、私は準備があるから、そろそろ行く。早ければ明日の朝にでもまた来るから」 いつものようにマリが見送りに来る。 「…気を付けてね。まぁ、『紅蓮のアレクサンダー』さんにすれば、これくらい朝飯前かな?」 振り返ってマリを見る。 「…何回言えばわかるの?私は、『紫電のアレキサンドライト』だ。…心配しないで、さっさとすませてくる」 心配そうな顔をしているマリを抱擁する。 「…無理、しないでね」 「ああ。それじゃ、行ってくる」 そうして私は教会を後にした。 |