正直、行くのをためらわなかったと言えば、嘘になる。 大佐が戦うのを見たのは、私を助けてくれたあの時、ただ一度。 あの人は、まさに超人的なヒーローだった。 だけど、大尉と対峙した時の殺気。思い出すだけで体が震える。 見つかったら、間違いなく、入院、とはいかなくても、柱にくくりつけるぐらいのことはするだろう。 …本当は、そんなこと言い訳に過ぎないのかもしれない。 本当は…ただ、彼に会うのが怖かったから、なのかも知れない。 でも、私は…
かの岩場へとやって来た。 そこにはカイルが立っていた。 こちらに背を向けて山の方を眺めているようだった。表情はうかがえない。 「…来て、いただけましたね」 すっかり夜になってから、リサはこっそり宿舎を抜け出し、先ほどはグリードの車に乗って来たこの岩場へ、歩いてやって来た。 車では数十分かかる道のりだが、徒歩で森の道を突っ切れば、車よりも早く着く。 そう手紙には書いていた。 ランプを片手に慣れない森の中を歩いてきたリサだったが、何とか迷わずに辿り着く事ができた。 「…カイル君、呼んだのは私だけ?」 「ええ、アサダさんだけですよ」 一向に振り向こうとはしない。 ただ、雲ひとつない空に浮かんだ月に照らされた彼の後ろ姿は、ひどく淋しげだった。 「どうして」 「どうしてだと、思いますか?」 突然カイルに言葉を切られて口ごもる。 思い当たることなど、ひとつしかなかった。だが、それを口に出すことはできなかった。 「…ごめんなさい。ちょっと生意気でしたね」 カイルが鼻で笑った。そして、自嘲的に言った。 「僕は、あの時言えなかったことを言おうと思って、アサダさんを呼びました。 アサダさんも、きっとその気で来たんですよね?」 リサはゆっくりと頷いた。カイルは振り返りもしないのに、そのことを感じ取ったようで、ゆっくりとため息をついた。 ふたりの間に沈黙が流れる。リサにとってそれは苦痛でしかなかった。 「今日は、月が綺麗ですね。真ん丸な満月で」 突然カイルが口を開いた。 「…そう、ですね」 リサは空を見上げた。月だけでなく、星々が夜空で輝いていた。 「…僕が初めて人を殺したのも、こんな夜でした」 それは、カイルの精一杯の告白だった。 リサは、視線を夜空からカイルの背中へ移した。 「殺したって言っても、その感触なんて知りませんけどね。気が付いた頃には、辺り一面血の海。 それだけじゃないです。僕が人を傷つけるときは、決まって満月の近い夜。そして、いつも気が付けば、です。 満月は人を凶暴化させるっていうのは、あながち外れてないのかもしれませんね」 カイルはまた鼻で笑った。 「おかしいと思いませんか、シェイドと一緒のところを敵に襲われ、交戦していたはずなのに、気が付けば立っているのは僕だけ。 相棒である彼女の姿はどこにもないんですよ。仲間と一緒にCOLORSの犯人を追っていたはずなのに、気が付けば犯人は血まみれ。 そして怯える仲間。 …こんなこと言っても信じてもらえないでしょうけど、僕は一度だって自分の意志を持って人を殺したことはありません。 まるで自分がもうひとりいるかのように、いつも気が付けば、なんですよ」 ついにカイルは、大声で笑い出した。その笑いは自身を嘲ているようにしか聞こえなかった。 「精神異常者なんでしょうか、それともただ現実逃避が激しいからなんでしょうか? …もう一度聞きます、アサダさん」 カイルは初めて振り返った。月に照らされた瞳は、潤んでいた。 「僕は人殺しです。僕のことが、怖くありませんか?」 ふたりの間に、ただただ沈黙が流れる。 「…私は」 「怖くなんかないさ。例え、お前が何人殺そうとも、だ」 ふたりとも声のした方を見る。 全身を黒い衣服で覆った女性、シェイド・クルセイドがそこにいた。 こんな真夜中だというのに、サングラスをつけている。 「おかしいな…俺はカイル以外を呼んだつもりはないんだが」 「彼女は僕が『立会人』として呼んだんです。僕と、あなたの、ね」 なにやら勝手に話を進められて混乱するリサにカイルが近づいて言った。 「立会人、と言うのは勝負を見届ける人のことです。それだけで構いません。 …ただし、手を出すことも、勝負を止めることもしてはいけません。 どちらかの戦意喪失、戦闘不能、あるいは死亡まで、勝負は終りません。 あなたは、ただそれを見ているだけです。 …お願いできますか?」 「どちらかが死ぬまでって…ふたりは家族なんでしょう!?」 「…アサダさんの言うとおりです。血の繋がりはなくとも、それ以上の絆で結ばれていると、僕は信じています」 「だったら」 「だからこそ、です」 カイルの強い口調に、言葉を詰まらせる。 「彼女の強情さは、僕が一番よくわかってるつもりです。そしておそらく、僕の強情さを一番わかってるのも、彼女だと思います。 口で分かり合えないなら…」 カイルはシェイドに向き直った。 「殴り合いでもすればいいんです。勝者に従うのが、敗者の義務ですから」 何となく、リサは察してしまった。 自分にはこのふたりには、自分には到底知りえない『思い』の繋がりがあることを。 そして、カイルには、もう何を言っても無駄だと言うことを。 そして、自分にできることはただひとつだと。 「…わかりました。立会人を、務めさせてもらいます」 カイルは顔だけで振り返り、笑った。そこに先程までの自嘲はなく、いつも少年―カイル・クルセイドそのものだった。 「…ありがとうございます。すみませんね、巻き込んでしまって」 「それじゃあ、立会人がついたところで、条件提示だ」 ふたりから離れた所で、サングラスを外し面白くなさそうにシェイドが言う。 「俺が勝ったら、あの子達とお前を連れて荒野へ戻る」 「僕が勝ったら、あなたには僕の言うことを聞いてもらいますよ」 はっ、とシェイドが馬鹿にしたように笑う。 「随分と言うようになったじゃないか。一回も俺に勝てたことがないのに」 「人は日々進歩し続けるんですよ。少なくとも『棺桶』で生きてきた四年は、僕を荒野にいたときよりも大きくしました」 カイルの眼差しは鋭かった。シェイドもそれを感じ取ってか眼差しを鋭くする。 「さっさとつけろ。待っててやる」 カイルは最初立っていた場所から少々大きめのバッグを持ってきた。 その中には、彼が荒野、そして棺桶で生きてきた、知識と知恵以外の武器が入っていた。 金属製の、指先が鋭い爪になっている、肘の上から指先までを覆うガントレット。 自分の長袖を肘まで捲くり、彼はそれを非常に慣れた手つきでつけていく。体側をベルトできつく締める。 左手を着け終わると、彼はリサのほうを見た。 「恥ずかしい話なんですけど、これ、ひとりじゃつけられないんですよ。…お願いできますか?」 リサは唾を飲み込んで、カイルの右手のガントレットのベルトをひとつずつ、しっかりと締める。 「ありがとうございます」 彼の両腕は、金属に覆われた。銀色が月を反射する。 「…あの」 指の稼動を確かめていたカイルは、リサに呼びかけられて顔を上げる。 「…私は、君のこと」 「もう、いいか」 再びシェイドに会話を切られる。 「ええ、準備オーケーですよ」 ふたりが向き合う。 「アサダさん、何か言いかけませんでした?」 振り返らずに言う。リサは大きく深呼吸した。 「必ず、勝って帰ってきてね。そして、夕食おごってね」 それが、彼女の精一杯の励ましだった。 「…わかりました。前向きに善処します。退がって下さい」 何となく、カイルの笑顔を感じた。 「…行きますよ、シェイド」 「いつも言っているだろう…言う前にかかってこい」 リサが十分に離れたことを確認してから、ふたりは構えた。
カイルの武器は両手の爪。 対するシェイドの武器は2本のナイフ。 正確に言えば、右手の柄に装飾のついた少々大きめのナイフと、左手のどこにでもありそうなバタフライナイフの二刀流。 ふたりの服装はと言えば、カイルはゆったりとしたジーンズにワイシャツ。 シェイドは全身を覆っているローブを脱ごうとしないので服装はわからないが、見えている両腕から硬そうな生地の上着を着ていて、 カイルが普段つけているような指先のない手袋をはめていることはかろうじてわかった。 ふたりとも構えたまま動こうとはしなかった。 離れた場所から見ていたリサは、あまりの緊張に息が止まりそうだった。 ふたりの距離は数メートル。 踏み込めば簡単に距離を詰められるだろうが、自分から仕掛けるというのは相手にカウンターを許す結果になりかねない。 ふたりの武器はいずれも一撃必殺になりうる凶器だ。 そういった点で、ふたりは動かないのではなく、動けないのかもしれない。 どれだけの時間、そうしていただろう。 実際の時間にすれば、ほんの数分、いや、数十秒だったのかもしれない。 いつまでも続くように感じられた、世界の静止。 だが、ほんのかすかな動きで、それは壊された。 ジャリ その音がどちらから発せられたのか、リサには判断できなかった。 音を感知した次の瞬間には、ふたりの間に火花が散った。 リサは軍に入ってから護身術や軍人格闘を多少なりは身につけたつもりだった。 しかし、このふたりと組み手をして、一本も取れる気はしなかった。 初めて見る、戦うカイルの姿。 そして、その彼より強いというシェイドという女性。ふたりの『COLORS』、『COLORS』同士の戦い。 グリードは言った。「普段は普通の人間と何ら変わりねえ」と。 果たしてこれ普通の人間と呼べるのだろうか。 自分が果たしてこのふたりのいずれかに取って代わり、同じように戦えるのだろうか。 シェイドが胸を切りつけようと右手のナイフを振る。 カイルがそれを左手のガントレトットで防ぎ、弾く。 それと同時に右手の爪で突き。 逆手に持ったナイフを指の間に当て、それを滑らせ攻撃をそらす。 すぐさま逆の手で顎へと拳。 カイルがわかっていたかのようにそれを止める。 だが、見え見えのその攻撃はフェイント。 攻撃を止めて空いた右の脇腹に鋭いシェイドの膝蹴り。 しかし一方で、カイルの膝蹴りもまた、シェイドの右の脇腹に突き刺さっていた。 ふたりは苦しそうに一瞬動きを止める。 でも次の瞬間には戦闘を再開している。 ふたりの戦いはあきらかに常人の域を超えていた。
時間の感覚はとうに麻痺していた。 ただただふたりの戦いは恐ろしいスピードで過ぎていった。 時計を見る時間すら惜しかった。瞬きすらも。 目をそらした次の瞬間、戦いが終わっているのが怖かった。 何もせずに、戦いを見届けること。 それが、『立会人』であるリサの役割だった。
しばらくして―と言っても五分も経っていないかもしれないが―鍔迫り合いからふたりの距離が離れた。 ふたりとも膝に手をつき、肩で息をしていた。 「随分と…やるようになったな、カイル…」 「あなたこそ…相変わらず、いえ…それ以上の強さですね…」 一旦ふたりとも手を下ろして立ちつくした。 戦闘開始後初めての会話だった。 「正直…ここまでやるとは…思わなかった…肩で息をするなんて…久しぶり…だな」 「ええ…僕も…もう少し…余裕で…勝つつもり…だったんですけど」 強がりだ。初対面のリサでさえ、それがわかった。 話ではシェイドの方が強いのだが、実際戦う姿を見て、カイルとて、彼女には勝るとも劣らない強さを見せている。 それだけ拮抗していた戦い。ふたりの疲労はかなりたまっていただろう。 「本当は…こんなもの…使いたくは…なかった」 はぁ、と大きく息を吐いて、シェイドが体を起こした。呼吸は既に整ったらしい。 カイルも苦しそうに体を起こす。 「…お前に相手に打つのは初めてだ。…願わくば、再起不能になっても、死なないことを祈る」 装飾のついたナイフを地面に落とす。 ナイフは地面に突き刺さる。 シェイドの目つきが変わる。カイルも目を細める。 「殺す気で行く。死ぬなよ?」 「殺す相手の心配なんて必要ですか?それに」 ふぅ、と息を吐き、口元をつり上げて嫌みっぽく言う。 「言う前にかかって来い」 シェイドの目つきがさらに鋭くなった。 そして、ローブの中に手を突っ込んだ。 引き抜かれた彼女の手には三本のどこにでもありそうなナイフ。 それを彼女は同時にカイルに向けて投げた。 かなりのスピードでカイルに向かって飛んでくる。一本弾いて二本かわす。 それで終われば苦労はしない。 かわした先には既にシェイドの第二撃のナイフが飛んできていた。 シェイドは目にも止まらぬ早さでローブからナイフを取り出し、隙を与えずカイルへと投げつけている。 今度は逆の手でそれを弾きシェイドとの距離を一気に詰める。 第三撃。これを左手で弾き、ゼロ距離からの当て身。それで、勝負を終わらせる。
その、はずだった。
余裕と言うものは、多少なり常に持っておくべきだ。だが、油断とは似て非となるものである。 久しぶりに、カイルはそれを思い出す羽目になった。
リサは離れた場所からその事態を見ていた。 夜とは言え月明かりでよく見えた。蚊帳の外だからこそ、わかることがあった。 カイルのガントレットはひとつの大きな金属ではない。 体にフィットするよう、内側には皮がつけられている。 手首や指といった可動部には、動作を妨げないように何段か金属が重ねられている。 それ故に、金属に覆われていながらも動作にはそれほど支障は出ない。 ガキッ。金属の噛み合う音。 シェイドの隠された第四撃は振りかぶったカイル右のガントレットの可動部の隙間に、寸分違わず突き刺さっていた。 ナイフは鎧を突き抜けて腕に突き刺さる。カイルが痛みに顔を歪めた。 そして動かなくなるガントレットは、ただ動きを制限する金属の固まりでしかなかった。 ふたりの距離はゼロになった。 カイルも必死に動かない拳を振るったがシェイドはそれをいとも簡単にいなした。 動かなくなったカイルの右手を掴みうつぶせに組み伏せ、地面に突き刺さったナイフを拾いカイルの首に突きつけた。 「チェックメイトだ。降参しないのなら、このまま殺る」 ひどく冷たい言葉だった。 リサが自分の立場も忘れ、止めに入ろうとした矢先、カイルが口にした言葉は驚くべきものだった。 「…シェイド。あなたは優しいですね、やっぱり」 その言葉に、ふたりの動きが止まった。 ゴキ ドン ふたつの音がした。どちらも何度も聞きたくはない音だった。 今、目の前には腕を押さえているふたりがいる。 カイルの右腕はあらぬ方向へ曲がっており。 シェイドの右腕にはナイフが突き刺さっていた。 「ぐっ…ああ!」 不自然な方を向いた腕を無理矢理曲げ戻そうとする。しかし完全に折れているのか垂れ下がったままだった。 「お前は馬鹿か!」 シェイドが自分の右腕に突き刺さっているナイフを抜きながら、明らかに怒りを込めて言った。 「ええ、馬鹿ですよ。…はは、意外と簡単に折れるんですね、骨って。もっとカルシウムを取っておけばよかったかなぁ。 …あぁ、痛い。涙が出てきましたよ」 呆気にとられていたリサだったが、先の一瞬で何が起こったのかようやく理解した。 完全に極まっていたシェイドの脇固めから、カイルは自らの腕を折るという暴挙により脱出し、 隠し持っていたナイフをシェイドの右腕に突き刺したのだ。 「お返ししますよ、それ。あの時から、預かり続けてきた物です」 シェイドの腕から抜かれたナイフ。それは、彼女が持っている装飾の付いたナイフと全く同じ物だった。 カイルは服の内側から鞘を取り出し、シェイドに向かって放り投げる。 「お前は借りた物の返し方も知らないのか?」 シェイドが苦笑いをしてそれを受け取る。 「何処に行ってたかと思えば…お前が持ってたのか」 血を拭きナイフを鞘に収める。 そして腕に布を巻いて止血する。 「それは、あの時、あなたが唯一残していったものです…僕の左手に突き刺さってましたけどね」 ふたりの表情が少し曇ったように見えた。 「…カイル、お前はあの時のことを覚えているか?」 「この場合のあの時とは、あなたと生き別れたあの時でいいですか?」 「それ以外にどの時がある」 さっきとはうってかわって、少しだけ、ふたりの間の空気が和んだ気がした。 「…あの日も、こんな綺麗な満月が出てましたね」 カイルはシェイドから視線を外し、月を見た。 「ああ、そうだったな」 シェイドも月を見る。 「確か、ふたりでいつも通り巡回をしていた時でしたね」 「ああ。あの頃は色々と物騒な事が起きてたからな」 「ねぇ、シェイド」 カイルが視線を戻す。 「何だ?」 シェイドも視線を戻す。 「どうしてあなたは…僕の左手にナイフを突き立てたまま、いなくなったりしたんですか?」 シェイドはカイルから目を反らした。 「…そんなこと、覚えちゃいない。俺の中の事実は、あの時俺らを襲ったのが軍の奴らだったって事だけだ」 リサは自分の耳を疑った。だがその疑問を聞くことはできず、呆然とふたりのやりとりを聞くことしかできなかった。 「それなのに…どうしてお前はその軍の中にいるんだ! どうして自分を殺そうとした奴らの中にいられるんだ! 答えろ!カイル!」 鋭い眼差しでカイルを睨むシェイド。だが、その瞳は敵を見る目ではなく、家族を心配する者の目だった。 「…一を見て全を知った気になる。それはあなたの悪いところですよ、シェイド」 目を瞑り、顔を伏せ、ぽつりとカイルが呟く。 「はっきり言って、僕ひとりでみんなを守ってあの荒野で生き続けるなんて、不可能でした。 実際、1年以上持っただけで奇跡に近いと思います」 無事な左手と口を使って器用に右のガントレットを外した。 がしゃん、と地面に落ちたそれが重い金属音を鳴らす。 「…確かに、あの時僕らを襲ったのは軍の人間です。ですが、今こうして僕が、そしてみんなが生きてこられたのも… こうしてあなたと再会できたのも、軍…いえ、あの『棺桶』の人たちのおかげなんです。 あの人達なら、僕らを守ってくれる。 あの人達なら、僕を認めてくれる。 一緒にいてくれる。心からそう思った」 今度は口だけで残った左のガントレットを外す。 同じようにがしゃん、と地面に落ちる。 「それが、僕が今ここにいる理由です。誰に強制されたわけでもなく、自分の意志で。自分だけの意志で」 しっかりと目を見開き、シェイドを真っ直ぐと見つめるカイル。その様子からは、年相応ではない覚悟がうかがえた。 「そう、か…なら、仕方ない」 消え入りそうな弱々しい声。 しかし、リサは聞き逃さなかった。今にも泣き出しそうな程の、悲しいその声を。 「今のお前は背負っているものがある。貫き通したい意地がある。そのことはよくわかった」 今の悲しさなど全く気取らせないほどの、威圧感。空気が重くなったような錯覚。 「これからすることは…誰の意志でもなく、俺の意志だ。 命を賭けて、お前を殺してでも子供たちを荒野に連れて帰ると言う俺の意地だ」 そうとだけ言ってローブの中からナイフを取り出す。 両手にはそれぞれ四本ずつ構えられている。 カイルは悲しそうに顔を伏せた。 「もう戦いに水は差さない」 シェイドの言葉は、ぞっとするほど冷たかった。 その瞳が漆黒に変わっていた辺り…彼女の目の前にいるカイルは最早家族ではなく、殺すべき敵となっていたのだろう。 リサは、もう動けなかった。
どれだけこの力を忌み嫌っただろうか。
どれだけこの力を呪っただろうか。
でも。
―神様は何の意味もなく力を分け与えたりはしないわ。 いつかその力が必要になるからこそ…神様はアンタにその力を授けたんでしょうね。 アタシが思うにね、カイル。 きっとアンタの力は…いつか、大切な何かを守るための力よ。 だから…今は辛くても。きっといつか、それを受け入れることができる日が来るわ。 誰でもなくこの私が保証してあげてるんだから、間違いないわ!―
傷つける事しか出来ないこの力を、何かを守るための力と言ってくれた人がいた。
…あの時は守れなかったものが。
「今なら、守れるでしょうか…エリスさん」 ぽつり、とカイルが何かを呟いた。 リサがそれに気付いたときには、既にシェイドの投擲は始まっていた。 四、八、十二、十六。 ナイフは次々に投擲されていく。 その第一陣が届くその時、カイルはゆっくりと顔を上げた。
少年の瞳は、夜空に浮かぶ月のように、闇を照らし、蒼く輝いた。 |