私は帰ってきた。この場所へ。アイツのいる、この場所へ。
だけど。
ここには、もう何も無かった。 泣き虫のセシルも、 いたずらっ子のエッジも、 おとなしいケリーも。他のみんなも。 そして。バカで、鈍くて、天然で、甘党で。 だけどいつだって自分は二の次で。 そんなアイツも、いなかった。 かつて、『クルセイド・ファミリー』と呼ばれた奴らは、 もう、ここには誰一人いなかった。 ただひとつの、置手紙を残して。
(僕は、貴方が生きていて、ここに戻ってくることを信じています。 ただ、この場所で貴方を待てないことが心残りです。 僕は、皆とここを出ます。皆の憧れた、荒野の外へ。 いつの日か、貴方と再び会えることを、願っています。 貴方の友、そして家族の)
今一度、荒野を出ようと思った。 アイツの待っているであろう外へ、行こうと思った。 「カイル…」
そして、私は歩き出した。
「おはようございます…あれ?」 リサは不思議に思った。普段なら、カイルの返事があるのだが、今日はそれがない。部屋を見回す。 「何をしている、早く入れ」 背後からの声に驚いて振り向くときに、戸に頭をぶつけた。 「…悪いが笑えんぞ」 「笑いを取ろうとなんかしてませんよ!」 頭を押さえながら、リサが言う。背後に立っていたのは、リオンだった。 銀髪に赤眼、優に一メートル八十五センチメートルはありそうで、 そこにいるだけで圧倒的な存在感をほこる彼に背後を取られても気付かないのは、 それがダンナ(彼はもともとリオンをそう呼んでいたらしい)って漢(おとこ)さ、と言っていたが、 ひょっとして自分が驚く姿を見て楽しんでいるのではないかと思ってしまう。 「あの、中尉はどこですか?いつもならいてもおかしくないんですけど」 リサがこの部署に配属になって、早くも一ヵ月が経とうとしていた。 その間、カイルがリサより遅く部署に来たことは一度として無かった。 「カイルなら今日は非番だ。ここ最近平和だからな、何かあって忙しくなる前に休みをやったんだ」 そんなことでいいのだろうか、と思っても、リサは口を出さない。
ここは『棺桶』なのだから。
「非番…ですか。どこか行ってらっしゃるんですか?」 そういえば、この一ヵ月間、病院にいた数日以外休みが無かったことを思い出した。 「そうか、中尉はまだ行ったことが無かったな」 そろそろ自分も階級以外で呼ばれ、もっと部署の人たちのことを教えてもらえるようになりたいと思うリサであったが、 さすがにそんな図々しいことは面と向かって言えるはずもない。 「ついて来い。今から非番だ」 そんな気持ちを察してか、リオンは言葉を残し、部屋にも入らず振り返る。 「ちょ、ちょっと、大佐!事件があったらどうするんですか!」 「そんなもの、グリードに任せておけ。いくぞ」 相変わらずの強引さだと思ったが、おとなしくついていくことにしたリサだった。
「ここだ」 普段見ることなどできないリオンの私服は、コートに隠れて見えなかった。 ちょっとがっかりしたリサだったが、そうばかりもしていられない。 「ここって…孤児院、ですか?」 「まぁ、平たく言えばそうだな。少し違うがな」 大きい家だな、と思って見ていたリサだったが、まさかそこが目的地だとは思わなかった。 門には文字の刻まれた金属板が埋め込まれていた。 「えっと…K・U・L・E・S・E・I・D…クレセイド?」 「クルセイド、ですよ、中尉」 階級に反応して顔を上げると、カイルが立っていた。その格好はまさに保育士という感じだった。 「非番中に階級で呼び合うのはなしですよ、カイルさん」 「あ、すみません。ついくせで」 中へどうぞ、とカイルに案内され、二人は中に入った。
「ところで、あの文字をクルセイドなんて読むの、ちょっと無理がありません?」 カイルに出された紅茶をすすりながら、リサが言う。 「まぁ、確かに結構無理やりなところはありますけどね」 カイルはいつもと同じようにありえない量の砂糖とミルクを紅茶に入れている。 「…前からずっと言おうと思ってたんですけど」 なんですか?と答えたカイルはかき混ぜたミルクティー(?)を普通に飲んでいる。 「…糖尿病になっても知りませんよ」 「よく言われます。でも、糖分の取りすぎ=糖尿病ではないそうですよ」 くすっ、と、カイルが笑う。本当にあの『棺桶』で生きてきた人なのだろうかと、リサはこの顔を見るたび思う。 この『少年』と形容したくなる男性、カイル・クルセイド… 「あっ」 「どうかしました?次は大佐の塩分過剰摂取による脳卒中の心配ですか?」 カイルに言われてリオンを見る。まさか、紅茶に塩なんか入れて飲んでいるのかと思ってしまった。 リオンは先ほどから出されたお菓子はおろか、紅茶にすら手をつけていなかった。 「…そうじゃなくて。カイルさんのラストネーム、クルセイドでしたよね?」 カイルは一瞬と動きを止めた。そして持っていたカップを置き、ふぅ、とため息をついた。 「ええ、そうですよ。僕の名前はカイル・クルセイドです。…気付くの遅いですよ」 「すみませんね、にぶくて。ということは、カイルさんもここ出身なんですか?」 そう言ってから、リサは軽率だと思った。自分の質問は、カイルに親や親戚をいない事を言わせる内容だったからだ。 苦笑いをしてリオンを一瞬見たカイルと、質問を取り消そうとリサが、声を出そうとした。 「おねーちゃん、遊ぼうよ」 二人が声を出す前に、気が付けばリサの横にいた少女が話し掛かけた。 「こら、セシル。今はお話中だから入ってきちゃ駄目だって言ったでしょ?」 「でも〜…」 「中尉、行ってやれ」 三人ともリオンを見た。 「子供と遊ぶのも、いい気分転換になると思うぞ。行ってやれ。」 リサは、ジーパンの裾をつかんだセシルを見た。 「…はい、それじゃ、行こっか、セシルちゃん」 「うん!ありがと、おねえちゃん、おじちゃん!」 リサは動きを止めた。おそるおそるリオンの方を見たが、怒っている気配はなかった。 「ほら、早く行ってやれ」 そういった言葉からも怒りを感じることはなかった。ところでリオンは何歳なのだろうと思いつつ、セシルと部屋を後にした。 たっぷり十秒、沈黙が続く。 「大佐、ありがとうございます」 先に口を開いたのはカイルだった。 「なに、気にするな。それより大事なことは」 視線をテーブルに落とす。 「なんだ、これは」 そう言って、腕を組んだまま顎で紅茶を示す。 「これはある意味宣戦布告と受け取っていいのか?」 「やめて下さいよ、大佐。冗談ですよ、冗談。冗談くらいわかるようになって下さいよ」 「それを俺に言う前にまず加減を知れ。紅茶の底に明らかに砂糖とは違う結晶が沈んでるぞ」 「濃い味が好みの辛党だと記憶していますが?」 その笑顔に全く悪びれた様子はない。 リオンは頭に手を当ててため息をついた。 「…もういい。お前と言い合ってると疲れる」 「あ、ひどいですよ!」 「まぁいい」 よくないです、という顔をしたカイルを見つつも、きりがない話を終わらせるためにリオンが立ち上がった。 「昔、アイツがお前に言った言葉、覚えてるか」 「『誰にだって、人に言えない過去がある』って、あれですか?」 不思議そうにリオンの顔を見る。 「珍しいですね、自分から会話に出すなんて。」 「お前がやろうとしないからだ」 そっけなくリオンが言う。 「…もう何が言いたいかわかったか」 「とりあえず、僕よりも彼女が受け入れられるかの問題じゃないですか?」 ふっ、と鼻で笑う。 「どうにかなるだろう。棺桶で生きていく以上、避けられないことだ」 リオンは出された紅茶をおそるおそる飲んでみる。 「お前のと足して二で割ればちょうどいいかもな」 顔をしかめながら言う。 「同質量なら塩のほうが味が濃いそうですよ」 「そのほうが好みだがな」 二人の顔に笑みが浮かんだ。
―誰にだって、人に言えない過去がある。 別に吹っ切れだとか、忘れろなんてことはいわない。 ただ、忘れちゃならないのは、その過去の上に、今のアンタがいるってこと。 その過去の積み重ねで、今のアンタができてるってこと …アタシには、アンタの過去はわからないんだもの。 アタシはその場にいなかったんだから。 でも。 すっごいムカつくのよ、うじうじしてるアンタが! それでもアンタは男なの?―
「…ただいま戻りました」 「おう、お帰り。…お疲れだな」 あの後、リオンは子供たちと戯れる(どちらかというと遊ばれている)リサを連れて帰ってきた。 部署につくころにはもう日が暮れていた。 部署には夜行性(カイル曰く)のグリードがいた。 「子供と遊ぶのって…ハードですね…」 リサの顔には明らかに疲労の色が浮かんでいた。 「さっさと寝ろ。見てるこっちが疲れる」 「お気遣い、感謝します…お疲れ様でした…」 いつもなら元気なリサだが、さすがに今日はこたえた様子だった。 「いつもあのくらいおとなしくしていてくれれば、苦労しないのだが」 リサが離れたのを確認して、リオンが席に座りながら言う。 「いや、俺は明るくて元気なほうが好みですけど」 「誰もお前の好みなど聞いとらん」 「…で、どうなりました?カイルの奴」 「どうもなっとらん。セシルがうまい具合に入ってきた」 「…あの子、人の心読めるんじゃないっすか?」 ふう、とリオンがため息をつく。 「いっそのことお前から話すか?」 「えー、嫌ですよ。勘弁して下さいよ、大佐。ここはやっぱりダンナから」 「却下」 立ち上がり、カーテンをずらし、窓の外を見る。 「…わかるとできるとは別物だ。俺はそこまで器用にできてはいない」 「そりゃ、当たり前」 すれ違い様にグリードの頭を軽く小突く。 「あー!手加減できない大佐の拳が俺の頭蓋骨を」 「そんなにお望みなら本気で砕くぞ?」 「いえ、冗談です、冗談」 リオンはいつものように、細長いケースを持って部署を後にした。
―どんなにあがいても。どんなに忘れようとしても。 過去は変えられないし、消えない。 だったらさ、当たって砕けるべきじゃない? どうせ倒れるなら、前向きに倒れなさい!―
そろそろ、みんなが寝た頃だろうか。 とりあえず、みんなを起こさないように寝床を出よう。 「今日も…星がたくさん」 上着を着て、屋上に登って寝そべる。 「…どこかで、あなたも見ているんでしょうかね」 いつでも左手にはめている、指先のない手袋を外す。そして、左手を自分の顔の前にかざす。 「知ってますか?心の傷と一緒についた傷は、心が癒えない限り、消えることはないんだそうです」 左手の甲と掌についた傷を交互に見る。 「…一生、消えないかもしれませんね」 手の甲で目を隠す。 「…生きていて下さいね…シェイド」 誰に聞かせるでもない、カイルの独り言だった。
「おはようございます」 昨日の疲れのせいか、2時間ほど寝過ごしたリサは、慌てて入ってきた。 「おはようございます」 いつものようにカイルが挨拶を返した。 「あ、帰ってきてらしたんですか」 「そう何度も一位は譲りませんよ」 くすっと二人が笑う。 「ちわ〜」 入ってきたのはグリードだった。予想外の相手に一瞬二人が固まる。 「なんだよ、俺が早起きしちゃいけないのかよ?」 「…いえ。おはようございます」 「ま、どうでもいいや。ほら、これ」 二人に紙切れを渡す。 「ダンナから。やっぱダンナは大佐ってよりダンナだな。つーか階級は関係ねーだろ、うん。んじゃ、寝る」 なにやら意味のわからないことを口走りながら、グリードは部屋を出て行った。 「…寝起き悪いんですか?大尉って」 「さぁ…」 ふと、渡された紙を見る。 『下に書いてるものが切れたから、二人で買ってこい。金は経費で落とせ。昼には帰れ。』 下には様々な品がかかれている。コーヒー、砂糖、ミルク、印刷用紙… 仕事に関係あるようなものから何に使うのだろうかと思えるようなものまで、無節操に並べられている。 「…藁って何に使うんですか?」 「それはこの部署の七不思議のひとつですよ。さっ、行きましょうか」 二人が出て行くと、入れ違いにリオンが入ってきた。 「さて、どうなるものか」 自分の席に深々と座り、目を閉じた。
「いや、本当に助かりますね。中尉がいると」 「だから非番中に階級で呼ぶのは…って今は職務中ですか」 大体の買い物が終わった。所要時間およそ2時間。二人はかなりの荷物を抱えていた。 「…ひょっとして、私がくる前は一人で全部買いに行ってたんですか?」 「大体のものは。下っ端の仕事ですから」 二人で二時間かかるのなら、一人ならいくら時間がかかるのだろうかと考えると、つくづく自分が同率ビリでよかったと思うリサだった。 ふと、ある考えが頭に浮かんだ 「あの」 リサは思い切って聞いてみることにした。 「失礼ですが、中尉って、おいくつなんですか?」 カイルはリサの方を見て、ふう、とため息をついた。 「この間、中尉の年齢を聞いておいて、自分だけ言わないなんて失礼ですよね。僕は…」 カイルが急に足を止めた。リサも慌てて足を止める。 覗き込んだ彼は驚いているよな顔つきだった。 「…中尉、ごめんなさい」 「え?」 搾り出すように言ったカイルの言葉を聞き返す前に、カイルは荷物をリサに押し付けて人ごみをかきわけて進んでいった。 「ちょ、ちょっと、中尉!」 リサの言葉に、カイルは振り向こうとはしなかった。
数分間、カイルは休むことなく進み続けた。そして立ち止まったのは、人通りの少ない裏路地だった。 「そろそろ、止まってくれてもいいんじゃないですか?」 少し息切れしながら、カイルが言う。 その言葉で、カイルの前に歩いていた人がゆっくりと立ち止まる。 フードをかぶり、頭の先から足まで黒で統一されているその格好は、昼の町を歩くにはいささか不自然な格好であった。 「いくつか、質問に答えていただけませんか」 相手からの返答はなかった。 「一つ目、どうして頭から足まで真っ黒な格好をしているのか。 二つ目、どうして背中にKULUSEID(クルセイド)の文字があるのか。 三つ目、どうして僕を誘うように一定の距離を保ち続けたのか。 四つ目」 いったん言葉を切った。カイルの目つきは鋭くなった。 「あなたは誰ですか?」 ほんの数秒、沈黙が続く。 「とりあえず、二つぐらい答えておこうか」 相手が重々しく口を開く。カイルは聞いたことがあった。 この声を。男と判断するには少し高い、この声を。 「二つ目に対して。俺は黒が好きだから。全てを飲み込むような、黒が好きだから」 カイルは依然警戒を弱めない。 「三つ目に対して。逆だろ?俺が一定の距離を保ち続けたんじゃない。お前が近付こうとも離れようともしなかったんじゃないのか?」 カイルが唾を飲む。何か口を動かそうとしている。 「…最初からわかってたんだろ?けど、この際だから残りも答えてやるよ。 どうして背中にKULUSEID(クルセイド)の文字があるのか。 そして、俺は誰かを」 相手はコートを脱ぎ捨て振り向いた。肩ほどまでの黒い髪、茶褐色の瞳。言葉遣いと一致しない、性別。 「…シェイド・クルセイド。だからですよね」 カイルの言葉は震えていた。 「どうして、あなたがここに?いえ…よく生きてましたね。シェイド。皆、あなたを心配して」 「俺が聞きたいのはそんなことじゃない」 カツン、カツンと一歩ずつ静かにカイルに近付く。 「どうして、お前はここにいるんだ!なんで軍人になってんだ!他の皆はどうした!」 胸ぐらを掴まれた。カイルよりシェイドと呼ばれた女性のほうが身長が高いので、見下ろされる形になる。 カイルは目を反らした。 「…みんな、無事ですよ。全員、連れて」 ゴッ 言葉が切れる。カイルが殴られ壁にたたきつけられる。口が切れて血が流れる。 いつでもこの味は嫌いだ。この鉄くさい味は。 「お前、変わったな。誰にも従わないと言ってたのに、軍の犬になんて成り下がって。 『血霞の鎌鼬(ブラッディ・リッパー)』と呼ばれた頃のお前はどこに行ったんだ?」 伏せていたカイルの顔が、シェイドへと向けられた。 「…どうしてあなたがその名を知ってるんですか」 再び顔を伏せる。カイルの声の震えはますます増してきた。 「お前を探してれば、嫌でも耳にするさ。『漆黒(ダークネス)』の俺と同じさ。 …まさかお前がとは思ったけどね。人をこ」 「それ以上言うなぁ!」 カイルらしからぬ目つき、叫び、言葉遣い。そして。 金髪緑眼の少年の、緑の瞳が青へと変わる。 刹那。 我を忘れたかのようなカイルの攻撃でシェイドは数メートル吹っ飛ばされる。 「…これがお前の力、か。俺もそれでやらせてもらうよ」 シェイドの瞳が、これ以上ないほどの真っ黒な瞳へと変色する。 数秒間、激しい打ち合いが続く。常人同士とは考えられない程、激しく。 少し距離が開いた。 二人の視線が交錯する。 停電したかのように、視界は真っ暗になった。 「うっ」 目を抑える。 「お前がこれにかかるなんてね。どうにかしてる」 腹を殴られ、カイルが地面にうつ伏せに倒される。その上にシェイドが乗る。 右手にはナイフが握られている。カイルの瞳の色が元に戻る。 「…ほんと、どうしちまったんだよ、カイル!」 「僕は…」 苦しそうにカイルが言う。 「何も変わってない。…変わったのは、あなたでしょう?」 シェイドの目つきが鋭くなる。握ったナイフを振り上げる。 「動かないで下さい」 声の方を見ると、リサが銃を構えていた。 「動いた後に俺を仕留める自信はあるか?」 「中尉から…カイルさんから離れて下さい」 リサの目からは本気がうかがえた。 ナイフを捨て、手を頭の後ろに置いてゆっくりと立ち上がる。 リサはシェイドに銃を向けたままだ。 あの女が俺を睨んでる。あれで勝ったつもりだろうか。 あいつは、カイルの何なんだろう。 ふっ、と視界が暗くなった。 「え、な、なに?」 リサは思わず目を抑えうずくまる。 「邪魔が入ったから、今は引き下がるよ。今日の深夜、ここで待ってる」 シェイドは紙切れをカイルに落とし、ナイフとコートを拾って走り去った。 「あ、カイルさん、カイルさん!」 数十秒後、視界が戻ったリサがカイルに駆け寄る。 緊張の糸が切れたためか、カイルは気を失っていた。 |